「voyager」が発信する
孤独な通信が人を繋げる
2007年12月19日発表、BUMP OF CHICKENのメジャー通算3作目のアルバム「orbital period」。
このアルバムのコンセプトを凝縮した楽曲「voyager」を解説いたします。
アルバム「orbital period」では冒頭を飾る楽曲なのです。
アルバムの最後に収められた「flyby」と対になっております。
両作ともとても短い楽曲です。
藤原基央はアルバム制作の最終盤にこの2曲を創りました。
結果としてアルバム「orbital period」全体を象徴しながら、コンセプトを明確にしてゆく楽曲になります。
今回はまず「voyager」の歌詞を紐解き、同時に連作ともいえる「flyby」についても併せて考察しました。
誰かに向けて通信を送ること。
この通信は孤独な行為でありながら、人と人を結ぶ架け橋にもなるはずです。
それでは実際の歌詞を見ていきましょう。
「ボイジャー計画」がモチーフ
「まるがつばつにち」という設定
○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
ワタシハ ドンナニ離レテモ イツモアナタノ 周回軌道上
出典: voyager/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
歌い出しの歌詞になります。
アルバム「orbital period」全体の始まりになるので、リスナーはこれからのドラマに期待するでしょう。
一方でロックの歌詞の中で「まるがつばつにち」という言葉を使うというのはかなりな離れ業です。
この箇所の仕掛をどう解釈したらいいでしょうか。
どんな日に聴いていてもリスナーが我が事と思えるように仕掛けたのかもしれません。
日付が限定されてしまうことで余計な解釈が生まれてしまうことを牽制したのでしょう。
架空でありながら普遍的な日付でもある「まるがつばつにち」。
リスナーは自身のこれまでの経験の中で歌詞に相応しい日付をそれぞれに宛てることができます。
一方でどんな日に聴いても今日の日付で解釈することもできるのです。
ボイジャー号の孤独な旅路
「voyager」とはNASAが取り組んだ「ボイジャー計画」により宇宙に飛び立った無人探査機のこと。
外惑星を探査する計画の中で打ち上げられた、ボイジャー1号とボイジャー2号。
木星、土星を探査して様々な衛星に関する情報を地球に送り返したボイジャー1号。
さらに探索の距離を伸ばして天王星や海王星に関しての重要な情報を地球に送ったボイジャー2号。
2体とも今では太陽系の外に出ています。
感慨深いことはこの2体が2025年には燃料が尽きて沈黙してしまうことです。
宇宙空間の絶対的な孤独の淵で孤独な旅路を終えてしまいます。
このボイジャー号2体には金メッキされたレコードが積まれていることも有名です。
地球の各国の言語でのあいさつや様々な音楽が記録されたレコードが搭載されています。
地球外生命体とコンタクトを得た際にこのレコードが何かの役に立つのではないかと考えられました。
とても夢のある話ではあったのですが、広い宇宙の中で私たち人類は孤独な知的生命体であったようです。
未だこのレコードが実用的に役に立ったことはありません。
藤原基央はこのボイジャー計画から「voyager」「flyby」に関しての大いなるヒントを得ています。
孤独な通信と相手からの応答を待つ姿がこの2曲を貫く大きなテーマなのです。
人間と社会性
「voyager」も「flyby」もボイジャー計画がモチーフとはいえ描いているものは地球での営みです。
孤独を身に迫る想いで感じている人の必死の呼びかけを描いています。
この呼びかけは成就しません。
誰かに向けて言葉を発しているのですが、その言葉は孤独な空間に消え入ってしまうのです。
いつの日もいつの日も発信し続けるのですが、肝心の応答がありません。
それでも誰かに向けて言葉を発し続けます。
人間は誰しもが何かしらの孤独を背負っていますが、生まれながらにして社会性を帯びている存在です。
両親の出会いというもの自体が社会性を帯びた出来事。
この幸運な出会いによって生まれたのが私たちひとりひとりの生命です。
そのために私たちは社会的な紐帯を求め続けます。
誰かと繋がっていたい。
誰しもが本心の中でこうした想いを持ち続けているのです。
だから毎日、スマートフォンに向かって何らかの交信を求めています。
ただし、その想いが必ずしも成就するとは限りません。
LINEの未読スルーや既読スルーに鬱屈した想いを抱えてしまった経験が誰にでもあるはず。
何の応答もないことは不安です。
「voyager」も「flyby」もまだSNSが浸透していなかった時代の作品ですが予言的でもあります。
2人を分かつ距離がどれほど離れていても、自分の心持ちは相手からの引力に惹かれ続けているのです。
だからこそなおさらに相手からの応答がないことに寂しさを感じてしまいます。
恋愛や友情についての寂しい側面が窺えるのです。
誰かと交信したい
孤独という独房
夜空に光を放り投げた あの泣き声は いつかの自分のもの
記憶に置いていかれても 活動は続く 遠く
出典: voyager/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
カタカナからひらがなへ叙述のスタイルが変化します。
宇宙空間の孤独をも表現したかったカタカナでの表記から、地表での私たちの営みへ焦点を当て直す。
ひらがなへと変えたのは歌詞を追うリスナーを日常へ引き戻す効果があるのです。
非常に詩的な表現になっています。
孤独であった日の追憶が胸に雪崩れ込んでくるような迫力を感じる箇所です。
私たちは誰に向けていいのか分からないような悲鳴を胸に苦しむことがあります。
孤独は独房に囚われているように過酷な日々を私たちに経験させるのです。
凶悪な犯罪者に贈られる罰は独房での収容。
これは社会的な存在である人間にとって一番過酷な罰が孤独であることに基づきます。
私たちは犯罪者ではないので、実際の独房に送られることはないでしょう。
しかし生活の中で孤独を噛みしめる日々、これは心というものが独房に囚われているようなものです。
誰にも向けられない孤独な叫びを星空に向けたこと。
ボイジャー1号・2号のように人々の記憶から抜け落ちても、日々生きてゆくことをやめられません。
社会の中にいながら孤独を感じてしまう。
誰かと繋がりたいのに、誰かに想われているという期待が持てない。
それでもいつか気付いてもらえるという希望を私たちは捨てきれないのです。