チェッカーズの名曲「星屑のステージ」とはどんな曲?
1984年8月にリリースされた「星屑のステージ」はチェッカーズ4枚目のシングルで、ドラマ「うちの子にかぎって…」の主題歌に起用されました。
チェッカーズがアイドル並みの人気を誇る、まさに絶頂期のころの大ヒット作です。
ここではこの歌がリリースされた時代背景とともに、気になる歌詞を徹底解釈します。
「うちの子にかぎって…」とは?
「うちの子にかぎって…」は1984年TBS系列で放送された学園ドラマです。
いまでこそ「古畑任三郎」シリーズでコミカルな演技を披露していますが「うちの子にかぎって…」はそれまでニヒルな二枚目役しか演じていなかった田村正和が、初めてコメディに挑戦した記念すべき作品です。
田村正和演じる石橋先生は吉祥寺本町小学校5年3組の担任。生徒には、その後「パパはニュースキャスター」で田村正和の娘を演じた西尾まりが出演していました。
ドラマのヒットと相乗効果で「ザ・ベストテン」1位
ドラマがヒットすると主題歌もヒットします。「星屑のステージ」も「うちの子にかぎって…」との相乗効果もあって、瞬く間に大ヒットとなりました。
同曲はオリコン週間チャート1位、オリコン年間チャート8位、「ザ・ベストテン」(TBS)1位を獲得、累計売上数60.4万枚(オリコン調べ)となりました。
今さら聞けない、チェッカーズって?
チェッカーズは福岡県久留米市出身の7人組バンドで、1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。
デビュー当時はメンバー全員チェックの衣裳を身に纏い、10代の女の子を中心に絶大な人気を誇るグループとなりました。
まずはメンバーをご紹介します。
藤井郁弥(現藤井フミヤ)1962年生まれ、Vo
武内享 1962年生まれ、Gt
高杢禎彦 1962年生まれ、サイドVo
大土井裕二 1962年生まれ、Ba
鶴久政治 1964年生まれ、サイドVo
徳永善也 1964年生まれ、Dr
藤井尚之 1964年生まれ、Sax
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/チェッカーズ
叶わぬ再結成
アイドルからミュージシャンとして成長したチェッカーズ。人気絶頂の1992年10月、出演していた「ミュージックステーション」内で解散宣言をしました。
同年大晦日に放送された第43回NHK紅白歌合戦が最後のステージとなり、ここでチェッカーズは「星屑のステージ」を熱唱しました。
解散の理由は音楽性の違い…以前からメンバー同士の不仲説があったのも事実です。
解散後も1980年代、90年代を象徴する存在だったチェッカーズの再結成を望む声は少なくありませんでした。
しかし2004年8月、クロベエこと徳永善也が舌がんにより死去、享年40。これによりフルメンバーでの再結成は叶わぬ夢となったのです。
「星屑のステージ」がリリースされた1984年とは
「星屑のステージ」がリリースされた1984(昭和59)年は、どんな年だったのでしょう。
2月、冬季サラエボオリンピックが開幕しました。同年7月にはロサンゼルスオリンピックが開幕。この頃は1年に2度もオリンピックが開催されていたのです。
3月には映画『風の谷のナウシカ』が劇場公開されました。
同月、未解決で終わった「グリコ・森永事件」が発生。江崎グリコ社長が誘拐されました。
7月には紙オムツ「メリーズ」が、8月には「ビオレU」が発売されました。今ではすっかり定番商品ですね。
11月に新札、1万円札:福沢諭吉、5千円札:新渡戸稲造、1千円札:夏目漱石が登場しました。
1984年のチェッカーズ
1984年、デビュー2年目のチェッカーズは立て続けに「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」をリリースしました。
2ndシングル「涙のリクエスト」が大ヒットとなり、先にリリースした「ギザギザハートの子守唄」もランキング上位に入るようになったのです。
歌はもちろんのこと、彼らのファッション(チェック柄)や髪型をマネするティーンエイジャーが続出、社会現象になるほどの人気だったのです。