もっと緩く寛容な社会するために
もしもお金に困ったらできる範囲内で手を貸すよ。
私たちの仲は変わらない
出典: Making Love/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル
宇多田ヒカルの親友がうらやましくて仕方がありません。
とはいえお金を目当てに近づいてくる人間は彼女の親友にはなれないでしょう。
下心なく近寄ってきてくれた人を信頼した結果として宇多田ヒカルの親友になれたはずです。
R&Bの枠組みを取り払って自由にポップ・ソングを歌えるようになった宇多田ヒカル。
言葉の自由度も大きく変わってきました。
赤裸々に自分の本音を書いているようで楽しげにさえ見えます。
金銭的に困ったときに事情を晒せられる友人というのは稀少です。
お金の話になった途端に逃げてゆくのが普通の友人でしょう。
しかし生活が立ち行かないということは生きることを諦めるのと等しい残酷な社会。
この過酷な社会で共助の精神を持ち合わせている宇多田ヒカルは素晴らしいなと思います。
自分のお金で何とかするだけではなく、親友の生活を軌道に戻すために助力する。
特別なお金持ちではなくても私たちが親友にできること、選択肢はたくさんあります。
色々と調べてあげて公的サーヴィスを受けられるように手配してあげることなどです。
親友だけではなくもっと広く公的サーヴィスの拡大に日々意識を傾けてできることも多いはず。
宇多田ヒカルは特別な富裕層ですが、公助・共助の気持ちを持ち合わせていることが分かります。
いい意味で緩いことは世知辛い世の中にあって本当に素敵なことです。
本音の交換と交歓
マナーに縛られるのはうんざり
友達にさえお世辞を言う世代
包み隠さずに見せるよ君だけに
楽しくないのにフリはしたくない
だってそんなの 疲れちゃうよ
出典: Making Love/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル
宇多田ヒカルの裏表のない性格がよく滲むラインです。
歌番組に登場したばかりの彼女のあけすけな感じはお茶の間の好感を呼びさらにセールスを伸ばしました。
相手を褒めないと友だちになれないとは哀しいことです。
子どもの頃からの付き合いなどはあまりデリカシーのない態度でも友だちになれます。
しかし大人になってからつくる友だちは相応のマナーに乗っ取らないといけません。
宇多田ヒカルはそんな縛り自体が馬鹿げてはいないかと問題提起するのです。
普通は一緒にいて楽しくないのならば離れてゆくだけなのでしょう。
しかし宇多田ヒカルのような人になると「楽しくないからもっとこうしよう」という向き合い方をしそう。
残念ですが宇多田ヒカルの本当の人格に触れることのできる立場ではないのですがイメージとして。
遠慮がないことも親友になるための条件である。
「Making Love」の歌詞の裏にはそうした心持ちが読み取れます。
真剣に向き合うからこそ「楽しくない」と進言する。
翻って自分ならばどうするだろうかと胸に聞いてみるのもこの曲の価値のひとつです。
宇多田ヒカルの夢の道
完成がない音楽という表現
あなたに会えてよかった
この町でがんばるね
長い長い夢の途中 singing loud!
出典: Making Love/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル
親友への感謝も伝えられますが、それも皮肉かなとも思えるなど七色に変化する歌詞です。
自分は親友が捨てていった土地に住み続けるからみたいな歪んだ気持ちを読み解くのは行き過ぎでしょうか。
素直に解釈すると自分も頑張ってゆくよという意味です。
宇多田ヒカルはこの時点で夢の多くを叶えているはずでしょう。
しかしまだまだ道半ばだといいます。
音楽というものには完成がないですから一生涯満足することはないのかもしれません。
成功したシンガーですが常に前進してサウンドもブラッシュアップさせている人です。
自分で打ち込みをしてバックトラックを創り上げるほどにアーティスト性にこだわり抜く彼女。
他の多くの人が宇多田ヒカルと一緒にサウンドを創りたいと思っています。
しかし、彼女は自分ひとりで何でもやり尽くしてしまうのです。
制作現場は孤独を極めているのかもしれません。
そんな際には楽しく笑わせてくれるような気のおけない仲間が必要なのでしょう。
しかし、その親友は宇多田ヒカルを置いてパートナーとともに新天地を目指しました。
交歓の中で成長する人
2006年、SNSはまだ勃興期
無情に過ぎゆく時間なら
親友は必要ね
少し疲れて私たち growing up
出典: Making Love/作詞:宇多田ヒカル 作曲:宇多田ヒカル
私たちはいつでも誰かとつながっていたい欲求を抑えられません。
近年ではSNSなどで代替するようになりましたが、この歌は2006年に発表された歌。
Facebookやmixiの設立は2004年。
一応、SNSはありましたが記憶の限りでは携帯電話でのコミュニケーションが大事だった気がします。
そして週末のパーティーなどで鬱憤を晴らして遊んでいました。
こうしたコミュニケーションの中で、さらに親友との付き合いとなるともっと直截的な交友。
どこに行くにも待ち合わせて遊びに出かけたり、お互いの家を行き来したり。
会話の内容も腹を割って話すもの。
友人がいない人生というのは想像がつきにくいものです。
人嫌いというパーソナリティの人もいらっしゃるはずですが、まったく孤立無援で生きていけるか。
その点は謎になります。
アメリカ文学には「森の生活 ヘンリー・D・ソロー」のように世捨て人になった記録文学があります。
しかしいずれは「下界」に降りてゆき大きなコミュニケーションともいえる文学活動をなしました。
孤独に関して様々考え、実際にその境地に達することで大きな仕事をなす人もいます。
しかしまるで友人がいないというシチュエーションは稀です。
その人の孤独を理解してくれる友人がいないと孤独は保たれないからでしょう。
いずれにしても人は親友とのコミュニケーションを繰り返す中で社会人として成長します。
「社会人」というワード。
その本義についてもっと考えてみることも必要でしょう。
人は生まれながらにして社会的な性格を帯びた生き物なのです。
親友の必要性は人間存在そのものの性格に依拠します。