「Pretender」と「052519」
2019年5月15日発表、Official髭男dismの通算2作目のシングル「Pretender」。
プラチナディスクに輝くなど時代を代表するヒット曲のひとつになりました。
「052519」と輝くニキシー管をジャケットにしたのですがファンはこの数字の意味に戸惑います。
結局、謎は解けないままでも多くのリスナーに受け入れられてOfficial髭男dismのファンを増やしました。
ギターサウンドとピアノの絡みなどサウンド・プロダクションの丁寧さ。
そして藤原聡の魅力的な声とコーラスハーモニーでリスナーの心を掴みます。
歌詞は分かりやすい言葉ではあるのですが、謎の伏線も張られていることで話題になりました。
別れの歌でありながら相手への敬意を忘れない歌詞であることも人々に支持されたのかもしれません。
Official髭男dismがシングル「Pretender」で提示したものとはどんなものだったのでしょうか。
ジャケット写真などパッケージングに込められた謎を解くために歌詞を含めて大検討してみましょう。
もっと知りたい「Pretender」の世界へようこそ。
それではまず実際の歌詞をご覧いただきましょう。
そこから謎の数字列「052519」の解読に進みます。
恋愛カーストの存在
何でも偏差値化する社会
君とのラブストーリー
それは予想通り
いざ始まればひとり芝居だ
ずっとそばにいたって
結局ただの観客だ
感情のないアイムソーリー
それはいつも通り
慣れてしまえば悪くはないけど
君とのロマンスは人生柄
続きはしないことを知った
出典: Pretender/作詞:藤原聡 作曲:藤原聡
歌い出しの歌詞です。
登場人物は語り手の僕と気になる君になります。
ふたつのラインを並べてみると盛んに韻を踏んでいるのがお分かりいただけるはずでしょう。
またこれは叶わない恋にサヨナラをしているのだともお分かりいだだけるはずです。
サヨナラを告げているのに湿っぽさは一切感じません。
恋愛にも格差社会が忍び寄っています。
ある程度の歳を経るとそれが実際の格差社会の構造、つまり経済的な事情と重なるでしょう。
しかし若いうちの恋愛カースト制度のようなものは総合的なスペックで判断されます。
顔面偏差値など不思議な言葉が生まれました。
家柄や実際の学業の偏差値、スポーツ偏差値など何でも偏差値のような尺度で判断されるのです。
僕と君とはこうした偏差値の違いによって恋愛に関しては別の進路を選ぶことを余儀なくされます。
君は僕に対して特に何とも思っていません。
僕は恋愛カーストの上にいるような君をまぶしく思うのでしょう。
カーストの違いを超えて付き合い始めたのですが僕は孤軍奮闘することに虚しさを感じました。
ふたりは自然に別れてしまいます。
「052519」のヒントはどこに
僕にはこうした恋愛のカースト制度のようなもの自体への反抗心などがうかがえません。
最初から諦めてしまっている印象を受けるのです。
予め決まってしまっている人間関係への抗う姿勢のようなものがないのは寂しいことでしょう。
とんでもない努力をして君と釣り合う男になってみせるというような熱さがまるで欠けているのです。
いわゆる「昭和」の男のような熱意は遠いものなのでしょう。
人生というものを若いうちからこういうものと思い込んでもいます。
まだ藤原聡の歳頃では人生の柄などできないとも思うのですがとにかく語り手は諦めが早いです。
こうした最初からの「設定」を破棄できないという固定観念のようなものを感じさせます。
これはアニメやゲームのような「設定」が大前提の文化に浸りすぎた結果ではないでしょうか。
この辺りの推察を深めてゆくと「Pretender」のジャケット写真に映る「052519」のヒントが見つかります。
アニメ文化の感性
藤原聡自身の言葉から
もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
もっと違う性格で もっと違う価値観で
愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから
出典: Pretender/作詞:藤原聡 作曲:藤原聡
生まれ変わった僕となら君と釣り合うはずなのにという想いを歌っています。
決定的な宿命論にでも感化されているのでしょうか。
現実を変えることは無駄と考えがちな僕の姿はどこか徹底した現状追認型の思考です。
ここで気になるのは「設定」というワードになるでしょう。
そもそも実際の人生に「設定」というものはあるのでしょうか。
関係を結ぶことに一度は成功したのにまだ「設定」に縛られる必要はあるのかなど疑問が絶えません。
リスナーは藤原聡の感性に不思議なもの、新しい感覚を見出すでしょう。
この感覚はやはりアニメやゲームのような文化の中で育った人の感性だと直感する人も多いはずです。
色々と気になりましたので違和感の正体を突き止めるようにweb上を漁ってみました。
「Uta-Net」というメディアのインタビューに答えている藤原聡のインタビューを発見。
その記事を読むとやはり藤原聡はアニメに多大な影響を受けているようです。
この章の終わりに記事へのリンクを貼りましたので読んでみてはいかがでしょうか。
またこのインタビュー記事の中で「052519」の謎についても語っています。
以下の叙述はこのインタビュー記事に多くのヒントを得ますが独自な解釈を交えたものです。
引き続きご興味を持ってお付き合いください。
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キャラは暴走できないから
僕は自分の可能性を知らないままに生きています。
まだ若いのですから自分を変える余地はいくらでもあるということに懐疑的なのかもしれません。
性格というものを宿命的なものだと信じてしまうのは人生経験の浅さから来ます。
人間のパーソナリティは様々な要因で決定されるものです。
原体験になるものやトラウマに囚われている人もいるでしょう。
しかし性格というものは人と人とのコミュニケーションの中で揺れます。
親に見せる顔、教師に見せる顔、上司に見せる顔、友人に見せる顔、恋人に見せる顔。
これらすべての顔を私たちはシチュエーションによって使い分ける器用さがあります。
性格というものは他者が外からその人を見て判定するものです。
自分の性格はこういうものだからという思い込みと他者からの評価の違いに驚くことがあるでしょう。
人間が社会的な存在であることを考えるとその人の性格を判定するのは他人なのです。
私たちは自分の性格は固着していると考えすぎでしょう。
誰が相手かによって顔を変えるように私たちの性格はむしろまとまりを欠いたものなのです。
ならば僕は君のために見せる顔を変えてしまえばいいでしょう。
しかし僕は「僕の設定」から外にはみ出ることができないのです。
「僕の設定」をはみ出てしまうとアニメのストーリーは暴走するでしょう。
ゲームにおいてもキャラの暴走はゲームの前提を破壊してしまうのです。
Official髭男dismは一挙に国民的なスターへとのし上がってゆきました。
その背景にはこうした新しい感性よって編まれた歌詞の力が大きいはずです。
リスナーとの間で予めの「設定」を共有する新しい時代が来たのかもしれません。