どことなく隔たりを感じてしまっていても、心にある気持ちに変わりはないのでしょう。
【季路】最初のサビパートは、藍忘機の心情を表しているようにも思えます。
今はそこにはいないけれど、互いに身を寄せ合った楽しい日々に戻りたい気持ち。
二人にとっていわば「春」と呼べる季節が、何度も巡ることを願っているのでしょう。
そしてそこで、儚げであっても幸せに浸りたいのです。
春待つ蕾は涙で洗われまだ硬い
優しい言葉さえ知らない 凍てつく夜の欠片たちよ
涙に濡れた蕾を抱きしめ その春を待っていた
出典: 季路/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
サビの前半部に藍忘機の影を感じる一方で、後半には魏無羨がいる気がしませんか。
歌詞の内容も前半部とは打って変わり、厳しいものとなっています。
そこにはかつて強大な力のせいで仲間から討たれた彼の、無念な気持ちさえ感じられます。
現世に甦った今とて、彼は多くの人に憎まれているのです。
それを悲しいと思っても、不思議はないでしょう。
ちなみにですが、魏無羨の生前の家紋は、蓮の花をモチーフにしたものだといわれています。
それゆえいっそうに、このフレーズが彼を象徴しているように思えないでしょうか。
悲しみの涙で洗われた花の蕾はまだ硬く、彼が本当の春を迎えるのはまだ先なのです。
今はまだただ時間を過ごすだけ
編む 時間の絢
出典: 季路/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
魏無羨は現世に甦り、かつて心を通わせた藍忘機と再会します。
気持ちを通わせる二人の再会が、いつであっても幸福であるとは限りません。
二人の間には互いを思う気持ちが燻りつつも、未だ大きく燃え上がることはありません。
今はまだ、ただ時間を過ごしていくだけなのです。
「絢」とは、織物に見られる美しい模様のことを指します。
「魔道祖師」のファンは特に、この一文字に微かな希望を見出せるのではないでしょうか。
ただ時間をやり過ごすだけではなく、そこにあるのもまた、美しい時間だからです。
「魔道祖師」ファンを震え上がらせる尊い歌詞
【季路】は、「魔道祖師」ファンからも絶大な人気を誇るAimerの新曲です。
TVアニメにも起用されることの多いAimerの曲ですが、それはなぜでしょう。
それは、その作品の世界観を忠実に再現しているからといわれています。
今回のこの新曲にも、ファンを震え上がらせるようなフレーズが数多くありますよ。
主要キャラクターを思わせるフレーズ
閉ざした世界に落とした紅色が導く 季節の帰路
囁きを藍く染めて 黄金の空 夢見たままで
温もりまで遠く見えた
出典: 季路/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
「魔道祖師」の深いファンなら、このパートを見てはっとしたはずです。
そうすると同時に、曲を作ったAimerへ敬意すら感じてしまうかもしれません。
思うにこのパートは、物語に登場する主要キャラクターを表したものでしょう。
「魔道祖師」には、特別な力を持った5つの一族が登場します。
修行者たちはそれぞれ違う一族に属しており、それらを「仙門百家」と呼ぶ。中でも特に優れた仙門が雲夢江氏(うんむジャンし)、姑蘇藍氏(こそランし)、蘭陵金氏(らんりょうジンし)、清河聶氏(せいがニエし)、岐山温氏(きざんウェンし)であり、世の秩序はこれら五大世家によって統治されていた。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/魔道祖師
これらの家名にある漢字を、よく見てください。
このパートの歌詞に使われているのが分かります。
ちなみに清河聶氏の「聶」には、「囁く」という意味があります。
エンディングテーマとして何気なく聴いていて、歌詞を知って驚いたというファンも多いです。
このパート冒頭の「紅」という色には、不穏さも感じられないでしょうか。
楽曲のMVでは、地面に血痕のあるシーンが当てられているせいもあるかもしれません。
そもそも魏無羨が討伐されるきっかけを作ったのは、「岐山温氏」だそうです。
そして彼らの身に着ける衣装には、赤や白が用いられています。
そういった点ともリンクさせると、この曲をますます楽しむことができるでしょう。
タイトルである【季路】を思わせる一節もエモい
このパートは主要キャラを編み込んでいると同時に、曲のタイトルをも含んでいます。
引用歌詞の一行目を見てもらうと、それがよく分かるかと思います。
日常的に使う「帰路」という言葉ですが、どんな意味があるかを考えたことはありますか。
帰路とは、「帰る時に通る道」を示しています。
Aimerのこの曲のタイトルは【季路】なので、まさにフレーズと一致しますね。
【季路】という言葉は実際にはありませんが、フレーズが示すものを表現しています。
「季節が帰る道」とは、一体何を意味するのでしょう。
それはもしかしたら、待ち焦がれた季節が再び満ちるということかもしれません。
あるいは、すぐそこまで来ていた春が、踵を返して帰ってしまう意味にも取れます。
後に続く歌詞を踏まえて考えると、後者がよりしっくりくるような気がします。