歌詞は1番から「わりと良い朝」、「馴れ馴れしい静寂」など挑発的で風刺的な表現が使われていて、聴く者をハッとさせます。
人間は、夜一人になると心細くなりがちです。
落ち込んだり、考え込んだり、ベッド上でスマホ画面を延々スクロールしたくなる時もあります。
しかし、朝になれば一日が動き始めるので自然と前向きになれます。
また、人間は神に祈ったり誰かを崇めたりして心の拠り所を求めます。
祈ったからといって直接事態が変わるわけではないのですが、自分ではどうにも解決できないと思うと他力本願になります。
そして、「沈黙は金」という格言を皆さんよくご存知と思います。
下手な口出しはせずに黙ってやり過ごしていたほうがいい、という意味で用いられることが多いようです。
確かに、場の空気を読んで協調することは集団生活で必須のスキルです。
しかし、一見穏やかな生活と引き換えに、水面下で問題が大きくなるかもしれません。
また、道徳に反する行為に対して見て見ぬふりをしていまい、自浄作用が働かなくなる可能性もあります。
「世界が終わる」とは、利益や場の空気を優先したために、人間の尊厳や安全がないがしろにされることではないかなと思います。
あの子もその子も 不安ぶっ飛ばしてさ
いけてないジョークで Hey Hey Hey
出典: 世界が終わる夜に/作詞:福岡晃子 作曲:橋本絵莉子
笑いによって、日常の些細な違和感は消すことができます。
不安は日常の忙しさに紛れて、ファンタジーと化します。
難しい問題を考えるのは専門家のすることで他人事。
確かに、ある程度の棲み分けは必要でしょう。
でも、全部それで済ませてしまってよいのでしょうか?
神様と現状を批判する
わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは 結局からっぽだったんだ
出典: 世界が終わる夜に/作詞:福岡晃子 作曲:橋本絵莉子
チャットモンチー福岡晃子の、強い意志表示がされたサビです。
「自分が神様だったらこんな世界は作らなかった」
神様は全知全能であり、完全無欠な存在とされています。それを真っ向から否定する発言です。
まるで、哲学者ニーチェの「神は死んだ」のようです。
と同時に、福岡晃子自身は神様という絶大な力を持たず、1人の人間に過ぎないという無力感も伝わってきます。
彼女は自分の気持に正直に向き合って、この歌詞を書いたのだと思います。
どれだけ科学技術が発展し、便利な世の中となっても、平和な社会を構築するのは相手へのいたわりや思いやりの心。
日々の生活の中で、愛という人間同士をつなぐものが失われているように、福岡晃子は感じたのではないでしょうか?
未来への不穏な空気を感じている
たとえば砂漠で花が咲き また不幸の種がなる
どうせ育ちやしないから みんな何かに目をそらしてる
例えばやさしく風が吹き 後悔の兵隊が来る
しまった!もう心は穴だらけだ
今もどこかがいろんな理由で
壊れはじめてる Hey Hey Hey
出典: 世界が終わる夜に/作詞:福岡晃子 作曲:橋本絵莉子
カラカラな砂漠で必死に生き抜き、花を咲かせて実を結ぼうとする植物。
人間であれば、家庭環境に恵まれず苦労して育つ子供や、会社がブラックだったり雇い止めを受けて追い詰められる大人が当てはまりそうです。
社会の手助けがあれば、環境を改善することは可能ですが、「どこかであきらめがあってみんな真剣に向き合おうとしない」と福岡晃子は批判しています。
また、次の歌詞は比喩かもしれませんが、日本が戦争に参加するかもしれない危機感を訴えていると思います。
時流の変化は、初めは心地よい微風のように感じられます。
しかし、いつのまにか戦争が始まり兵隊が街を歩くように。
気づいた時には既に手遅れというわけです。
「心は穴だらけ」と聞くと、無数の銃弾が体を通り抜けるイメージが目に浮かび、言葉にならない痛みが伝わってきます。
自分が悪魔だったらもっとまともな世界を作ってる
わたしが悪魔だったら こんな世界は作らなかった
命の砂時計は 結局からっぽだったんだ
出典: 世界が終わる夜に/作詞:福岡晃子 作曲:橋本絵莉子
悪魔は神の対極に位置する存在。神に匹敵する強大な力を持っています。
悪魔は、人に罪を犯すようにそそのかしたり誘惑する役割ですが、自分が悪役の悪魔だったとしても「こんな世界は作らなかった」と福岡晃子は書いています。
人はみな、一定期間生きられるそれぞれの砂時計を持っているはず。
でも、こんな世界に生きているなんて生きていないようなもの=死んでいる状態。
砂時計に元から砂が入っていないのと同じと彼女は伝えようとしています。
わたしだってからっぽ
暇つぶし出来る話題を くだらない笑い声と嘘を
探し続けるの わたしからっぽだから
出典: 世界が終わる夜に/作詞:福岡晃子 作曲:橋本絵莉子
ここでは、色々批判してきたけれど自分自身にもからっぽな部分があるというように筆者は解釈しました。
世の中が善人悪人に二分化できないように、誰しも誤魔化している部分はあるのが人間ではないでしょうか。
くだらない芸能ニュースを面白がったり、芸人が身体を張って笑いを取る様子にいじめに似たカタルシスを感じたり。
外部から影響を受けて、考えもせず受け取ってしまうのは十分起こりえることですから。
歌は最後に「わたしが神様だったら...」「わたしが悪魔だったら...」の歌詞を繰り返して終わります。
まとめ
いかがでしたか?
痛烈な歌詞ですが、感じたことを感じたままに歌にすることで、聴いた人の心に何かが残る歌となっていると思います。
映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」でも、家族が感情をぶつけ合って互いの存在を認め合う瞬間がありました。
何にせよ、リアルな気持ちを表現することが人間であることなんじゃないかと感じます。
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