「キミガイナイ」でなぜ渡辺梨加は担がれたか
欅坂46の「キミガイナイ」は2017年に発売された「サイレントマジョリティー」のカップリング曲の一つです。
通常版CDの3曲目に収録され、欅坂46をプロデュースする秋元康氏が作詞しました。
特に渡辺梨加さんが担がれて入場する姿は話題を呼び、その理由にも議論が重ねられています。
独特なこの振り付けを初めて見て驚いた方も多いことでしょう。
欅坂46の振り付けを担当しているTAKAHIROさんは一体どのような意味をこの振り付けに込めたのでしょうか。
まずはこの振り付けの意味を考えていきましょう。
菅井友香さんのブログにヒント!
なぜ「キミガイナイ」で渡辺梨加さんが担がれていたのか、その理由は菅井友香さんのブログにヒントがあります。
長い夜は口を閉ざし
星も見えず 月は雲に隠れてる
誰が聞いているのだろう
マーラーの憂鬱な交響曲
出典: キミガイナイ/作詞:秋元康 作曲:SoichiroK・Nozomu.S
どうやらこのマーラーと言うのはワーグナーの「パルジファル」と思われます。
マーラーは28歳の時、ブダペスト王立歌劇場の芸術監督となり、ワーグナーの「ラインの黄金」および「ワルキューレ」の初演をしています。
この初演は模範的な演奏として高評価を得、マーラーの名を世に広めていきました。
「パルジファル」はワーグナーが1865年に作曲したオペラですが、王様が担がれるシーンがあるのです。
このシーンをモチーフとしているのでしょうか。
しかし、これだけの理由というのではどこかマニアック過ぎる気がしますね。
何か他にも理由があると考えられるのではないでしょうか。
謎に包まれ続けるシーン
マーラーは交響曲の大家と呼ばれていた人物ですし、ワーグナーの曲の初演を任されるほどつながりのある人物でした。
ただこれだけで本当に渡辺梨加さんが担がれていた理由になるのかと言うと、難しすぎて分からないという人がいるのも実情です。
しかし菅井友香さんのブログを見る限り、「マーラーの憂鬱な交響曲」というのは的を得ているのかもしれません。
というのも、この楽曲に登場する「マーラー」ことグスタフ・マーラーは、作曲者としても著名な人なのです。
そして、彼が作った楽曲の中で有名な作品の中に「交響曲第5番」があります。
この「交響曲第5番」は葬送行進曲として使われることがあるようです。
彼の交響曲はこの葬送行進曲として使われることが多いようです。
葬送行進曲というのは、葬儀で遺体を運ぶ際に流す楽曲のこと。
つまり遺族たちが遺体の入った棺を持って、行進をする時に流される楽曲のことを意味します。
このことについて考えていくと、歌詞に登場する「交響曲」の意味が分かるのではないでしょうか。
つまり渡辺梨加さんが担がれていたのは、棺を持って行進する、葬儀の様子を表していたのです。
振付師のTAKAHIROさんは、マーラーの交響曲が葬送行進曲として使われていることを知っていたのでしょう。
そこから着想を得て、楽曲のインパクトのある振り付けを作ったのだと考えられます。
歌詞の意味を解説
繰り返される孤独の意味
本当の
孤独は
誰もいないことじゃなく
誰かがいるはずなのに
一人にされてる
この状況
出典: キミガイナイ/作詞:秋元康 作曲:SoichiroK・Nozomu.S
このフレーズは2回出てくるのですが、最後の「キミガイナイ」へつながるフレーズです。
夜の闇の中で、音さえもない世界に気が付くことはなんと恐ろしいことでしょうか。
今 心は すべてが空っぽ
ただ 時間が過ぎてしまえばいい
出典: キミガイナイ/作詞:秋元康 作曲:SoichiroK・Nozomu.S
最初に記されるこの歌詞からも、一人でいることの孤独と静寂と寂しさへの問いが隠されているのかもしれません。
この世界に誰ひとりとして自分以外の人間がいなくなったとしたら、孤独と思うこともないのではないでしょうか。
何故なら、どう抗おうとも独りぼっちだという事実は変わらないからです。
しかしながら、世界には沢山の人で溢れています。
それにも関わらず、主人公は今独りぼっちでいるのです。
それが孤独であると感じているのでしょう。
だからといって、主人公は誰でもいいから側にいて欲しい訳ではないのだと思われます。
彼にとって今、「キミガイナイ」という状況が一番寂しいのです。
眠れない夜
こんな夜は息を潜め
灯りつけず 闇の中で目を開(ひら)く
壁の向こう側の気配
隣人もまだ起きてるのだろう
もう 今さら 電話したくない
ふと 愚かな自分が嫌になる
君のいないこんな宇宙
枕を投げて叫ぶ
消えてなくなれ!
出典: キミガイナイ/作詞:秋元康 作曲:SoichiroK,Nozomu.S