「テレビお断り!」と見せかけて
吉田拓郎は売れっ子でありながら、テレビ出演を頑なに固辞し続けました。
この「一流のアーティストはテレビに出ない」哲学も、吉田拓郎が確立したものです。
歌手はテレビで顔を売るのが当たり前だった時代に、拓郎のスタイルはテレビ界・芸能界に大きな衝撃を与えます。
その後態度が軟化して、90年代にはとうとう「LOVE LOVE あいしてる」にレギュラー出演。
Kinki Kidsのギターの先生として、幅広い世代に認知されるようになりました。
拓郎と浜省の師弟関係
浜省は拓郎の付き人だった
拓郎は、1970年にプロデビューして上京した後も、広島フォーク村のイベントなどに出演するため、度々帰郷。この頃は、スーパーの階段の催し場やレコードショップの横、などで歌うこともあった。こうした折に付いてまわったのが浜田で、空港までの送り迎え等も浜田の仕事であった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田拓郎
広島フォーク村は、吉田拓郎が作ったフォークサークルです。
フォーク村の後輩だった浜田省吾は、拓郎の付き人のような形でカバン持ちをやっていたわけです。
今回ご紹介する「イメージの詩」は、この広島フォーク村時代に拓郎が書き上げました。
「イメージの詩」拓郎版と浜省版と○○版
「イメージの詩」の基本情報を押さえておきます。
吉田拓郎の「イメージの詩」
「イメージの詩」(イメージのうた)は、よしだたくろうのデビューシングル。 1970年6月1日にエレックレコードから発売された。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/イメージの詩
デビュー当時の拓郎は、ひらがなで「よしだたくろう」と名乗っていました。
発売元のエレックレコードは、インディーズレーベルのはしりです。
エレックレコードが先走って発売した音源を、録音し直して再発売したものが、正式なシングル「イメージの詩」です。