迎えにきたぜ 函館へ
見はてぬ夢と 知りながら
出典: 函館の女/作詞:星野哲郎 作曲:島津伸男
ようやく成功したので、別れた彼女を迎えに函館まで来た!
見果てぬ夢とは、最後まで実現しない夢のこと。
そうと知りながらも、捨てた彼女がいつまでも気になっていた。
2番の歌詞で街はずれまで来ましたが、そこから先は海です。
海に向かって、後悔の念を募らせています。
忘れられずに とんできた
ここは北国 しぶきもこおる
どこにいるのか この町の
一目だけでも 逢いたかったよ
出典: 函館の女/作詞:星野哲郎 作曲:島津伸男
ずーっと彼女のことを忘れられなかった。
成功したら急いでやってきたが、結局彼女の消息は分からなかった。
多分、季節は冬なのでしょう。
しぶきも凍るほどの寒さが、心の寒さを表しています。
最後に「逢いたかった~!」と海に叫んでいるようなシーンで終わっています。
男のエゴですが、夢を追いかけるために彼女と別れたが、ずーっと忘れられなくて、成功した後に戻ってきたけれど、彼女には逢えなかった。
決してハッピーエンドにはならない歌ですが、明るい曲調が悲惨な状況を救ってくれます。
当時の日本は、戦後の復興から繁栄に向かっているときです。
みんなの心を捉えたのはこの明るい「いけいけ調」だったのでしょう。
特別な歌だった「函館の女」
「函館の女」がヒットした当時は北海道の玄関口、又は本州へ渡る出口として青函連絡船が主要な交通手段でした。
「函館の女」が特別な理由その①
ヒット当時の1960年代は交通機関が一通り整備されていましたが、とても時間のかかるものでした。
旅客機もまだ一般的ではなかった時代。
海を渡るには船が主要交通機関なのです。
その中でも函館港は唯一の北海道と本州をつなぐ重要な港だったのです。
歌詞の中にこそ出てきませんが、青函連絡船は非常ににぎわった交通機関でした。
道民(北海道民の略)にとっても重要な船で、これに乗って本州へ渡るのはあこがれのルートでした。
青函連絡船をイメージし函館を題材とした歌は道民にとって非常に思い入れの強い曲だったのです。
「函館の女」が特別な理由その②
また、本州の人たちにとっても特別なイメージの曲でした。
1960年代は戦後の復興も進んで、一大旅行ブームです。
北海道は、日本じゃないような景色が見られる、あこがれの土地でした。
青函連絡船は、たかだか3時間半の船旅です。
でも当時の出航時の盛り上がり様は現代では想像を絶するものでした。
大海原を渡って新天地につく!
国内でそんな気分が味わえる唯一の交通機関です。
そんなイメージを呼び起こさせる「函館の女」は、みんなのあこがれでもあったのです。
なんといっても「はるばる来たぜ」ですからね!
最後に
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