本当は怖い「マトリョーシカ」
恋愛の暗い部分を伝える
2017年9月13日発表、あいみょんの1作目のフル・アルバム「青春のエキサイトメント」。
このアルバムの4曲目に収録された「マトリョーシカ」の歌詞が不思議で怖いと評判です。
ロシアの民芸品マトリョーシカの入れ子形状を巧妙に歌詞に反映させます。
あいみょんの言葉のセンスの素晴らしさが全快な歌詞になっているのですが託された女心が若干怖いです。
恋愛の暗い部分を伝える歌詞になっている。
しかしマトリョーシカという愛らしいアイテムを歌詞に使ったお蔭で怖さは半減しています。
あいみょんはマトリョーシカにいったいどんな想いを託したのでしょうか。
実際の歌詞を読んでいただいてその怖さやユーモアを体感していただければ幸いです。
まずは歌い出しから見てゆきましょう。
今の「私」だけが私ではない
フォーキーかつソウルなサウンド
あいつの全てを知り尽くし
尻に敷いてしまいたいわ
良い子のふりしたマトリョーシカ
2つめの顔を見せましょうか
出典: マトリョーシカ/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
アコースティック・ギターのコード・ストロークが奏でられてバンド・サウンドへ移行します。
ソウルフルなエレキ・ギターが素晴らしいです。
斯様にバンド・サウンドではあるのですがアコースティック・ギター1本でも歌えそうな感じがします。
この性質はあいみょん作品のすべてに共通するエレメントです。
ミドル・テンポなのでカラオケなどでも歌いやすいでしょう。
2つめの私を見せようか
歌詞はいきなり女性に平手打ちを食らったような衝撃があります。
恋人の前では無垢な女性を演じている「私」に私自身が苛立っているようです。
いい子を気取っているばかりでは恋愛の主導権を握れません。
ちょっと嫌だなと思うようなことも我慢して一緒にいるのは辛いことです。
マトリョーシカは入れ子構造でいくつかの小さな、そして新しい本体や顔を隠しています。
そのマトリョーシカに自分を例える辺りがあいみょんの歌詞の巧妙さでしょう。
今の「私」だけが私ではないのだと彼女はいいます。
その内側にあるもうひとりの自分を登場させようか?
隠された顔はどんな表情でしょうか。
先を見ていきましょう。
マトリョーシカへの擬態
本心を隠した恋愛
遠回しすぎるセリフばっかで
セルフな恋に飽き飽きして
それでも好きとか言ってしまうこと
恥ずかしいなんて思わなくなった
出典: マトリョーシカ/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
巧妙に音韻を整えるのが得意なあいみょんらしい歌詞です。
自分の本心を隠した恋愛はいつかどこかで疲弊してしまうもの。
それならば好きということだけは口に出しておくことを大切にしています。
ただ、そのために相手に対してへりくだった姿勢にもなってしまうので恋愛の主導権を握れません。
愛が動機であることはどのようなことであっても無罪だとする考えがあります。
自分を隠し通してでも相手の気持に応えたい。
そして相手にも「私」のことを好きになって欲しいと切に願う女心が透けています。
叶わない恋愛をしているためにメンタリティーも崩壊寸前です。
「私」でいることって何だろう? そんな想いがのしかかる毎日。
「私」はいつでもマトリョーシカに擬態しています。
愛されることばかりに専念
女心の可愛さ
近いうちに愛されるかな私、私
出典: マトリョーシカ/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん