あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったこと
あのね、わからず屋って言うんだろうね忘れたいんだけど
出典: 言って。/作詞:n-buna 作曲:n-buna 編曲:n-buna
ここでとうとう、「君」が死んでいることが明らかになりました。
「実は」と言っていることで、元々「私」は「君」が死んだことを受け入れていなかったのではないでしょうか。
ここで1番のサビと少し合わせてみましょう。
何を言って欲しいのか。
つまり「私」は「君」が死んだとは思っていなくて、モノ言わぬ「君」に何かを言って欲しいと願っていたのでしょう。
唐突に親しい人がいなくなってしまうと、最初はその事実を受け入れることが難しいでしょう。
だから頭ではもう話すことはできないと分かっていても、話してほしかったのです。
どうして逝ってしまったのか、約束していた予定はどうなるのか。
この先私を独りだけにして、君はどういうつもりなのか、聞きたいこと、伝えたいことがたくさん出てきます。
でも、もう伝え合うことは叶いません。
君はこの世から消えてしまったのですから。
溢れる想い
もっとちゃんと言ってよ
忘れないようメモをしてよ
明日十時にホームで待ち合わせとかしよう
牡丹は散っても花だ
夏が去っても追慕は切だ
口に出して 声に出して
君が言って
出典: 言って。/作詞:n-buna 作曲:n-buna 編曲:n-buna
ここでは「私」の強い想いが描かれていますね。
所々にある命令口調がその様子を表しています。
死した「君」の横で想いを叫んでいるかのようですね。
そして、牡丹は散っても美しさが残ります。
ただ、次の歌詞には切なさしか残らないのでしょう。
「夏」と「死」を連想させるならば、日本人なら誰もが知っているお盆です。
そして「追慕」という死んだ人を思い慕うという歌詞。
夏が過ぎ去るのと追慕がかけ合わされることによって、切なさが倍増していますよね。
最後の部分の歌詞が、苦しい胸の奥底から絞り出したかのように聞こえてきます。
上記の歌詞から分かるように、「私」が「君」に言いたかったのは1つだけなのでしょう。
どうして死のうとしていることを話してくれなかったのか。
死にたい気持ちを他人に伝えるというのはとても難しいことです。
どれだけ関係が近い人物だったとしても、命を捨てたいと相談するのは勇気がいるでしょう。
それでも「私」は言ってほしかったのです。
「君」が悩んでいたことや死にたいと思ってしまうような出来事を何も知らない。
そんな「君」のをことを知っているようで本質では何も分かっていなかった状態が悔しいのでしょう。
そしてこの後悔に似たような感情は毎年夏の終わり頃にやってくるのです。
人生最後の日
そして人生最後の日、君が見えるのなら
きっと、人生最後の日も愛をうたうのだろう
全部、全部無駄じゃなかったって言うから
出典: 言って。/作詞:n-buna 作曲:n-buna 編曲:n-buna
人生最後の日。
最初のサビでも述べたように、人生最後の日というのは「私」が死んだ時のことです。
「君が見えるのなら」というのは、幽霊になった「私」と「君」なのでしょう。
そこで再び、この2人は会う事が出来るのです。
会って何をするか。
当然、愛を伝えるのです。
そして、「私」が最も伝えたいことは、「私」が生きてきた人生は無駄じゃないということ。
せめて生きている時に伝えられなかった想いや気持ちを「君」に伝えたいと願っています。
そして「君」より長生きした分、どこかの景色の綺麗さとか何を聞いて楽しくなったのかなど。
言えなかったこと、伝えるのが難しくて諦めていたことを丁寧に伝えていきたいという想いが込められているようです。
あなたがいなくなってしまった日から今日までが全て大切な日だったのだと想えるように。
もっと
あぁ、いつか人生最後の日、君がいないことがまだ信じられないけど
もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、もっと、もっと、君が
もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って
出典: 言って。/作詞:n-buna 作曲:n-buna 編曲:n-buna
「君」の死を理解は出来たけど、納得は出来ない「私」。
繰り返される「もっと」の言葉が、その切ない叫びを表しています。
そして、これはMVと合わせた解釈となるのですが、基本的に「私」は無表情の女の子です。それは後半においても変わりません。
ですが、最後にある「もっと」だけは一瞬悲しげな表情を浮かべています。
最後の最後に、「君」が死んだことを受け入れたのでしょう。
サビをMVと合わせて考えてみると
これは歌詞の解釈ではなく、これまでの解釈を踏まえた上でのサビ部分のMVの解釈を行います。
無表情ながらも、サビではポップな様子で明るくふるまっていますよね。
けれど、歌詞では想いが綴られています。
この二つから考えると、恐らく「私」は空元気なのでしょう。
その姿が、「私」に対して悲痛の感情移入をさせてくれます。
MVでは「私」の表情に注目
MVにでてくる「私」らしき可愛らしいキャラクター。
街の風景で様々な動きをしたり、リズムに合わせて踊っていたりと非常に可愛らしいです。
しかしこのキャラクター、表情はほとんど無表情なのにお気づきでしょうか。
口を動かしたり、目を閉じたりしているのですが、感情が表現されたような表情はほとんどしていません。
唯一感情が顔に出たシーンは楽曲ラストの「もっと」の時だけです。
タコと戯れているときも青空を見上げている時もどこかぼんやりしている表情。
ひょっとしたら少女は曲のラストになるまで「君」がいないことを受け入れられなかったのかもしれません。
そう考えると、どうして君はいなくなってしまったのかな…。
という疑問を少しずつ解けさせていったような歌詞にも感じることができます。
自分なりに伝えることの難しさを考えて、「君」が「私」に伝えてくれなかった理由を探し納得しようとしている。
あれこれ考えて、どうにかして現実を受け止めようとしているのではないでしょうか。
しかし曲も終盤になり自分がどうしてこんなにショックを受けていたのかが判明します。
それは歌詞解釈でも紹介しているように、「君」が何も伝えずに命を絶ったことです。
「もっと」を繰り返していくうちに「私」はそのことに気付いたのでしょう。
言ってくれなかったことに寂しさを感じていたのかもしれません。
自分の気持ちに気付いた「私」。
しかし不器用な彼女は自分のこの繊細な想いを上手く伝えることができません。
そんな彼女がようやく絞り出せた言葉が「言って。」なのでしょう。