RADWIMPS「ラストバージン」
RADWIMPSは様々な音楽性を融合させ、新しいアイデアで音楽を進化させ続けているモンスター・バンドです。
そんなRADWIMPSの純粋なロックバラードが「ラストバージン」です。
インディーズ時代から通算7枚目のアルバム『×と○と罪と』に収録されたこの曲。
多くのタイトルがなぞかけになっているRADWIMPS。
「ラストバージン」の意味を考えながら、歌詞を読み解いてみます。
「ラストバージン」の歌詞を紐解く
こんな気持ちはじめてと僕は言う
何の気ないそぶりで君は言う
私たちはじめて出会ったんだもん
そんなの当たり前だよ、と君は言う
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
はじめて出会ったふたりだから生まれる愛や感情があると思います。
自分の中にある感情や感覚に驚くのです。
特別な相手に出会うと特別な感情が生まれます。
もしも俺が明日死んだらどうすると問う
すると目も合わさずに君は言う
そんなの起こってみなきゃ分からないと言う
少し怒ったような顔で 君は言う
なんでか 僕は 嬉しくなって
笑ったんだ
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
もし自分が死んだらどう思うか?
そういう問いかけに怒る君。
自分の中にある負の感情を、怒ってくれることで嬉しくなる。
誰かが死にたいと言った時に、心から怒ってくれることは本当に気持ちが繋がっているからです。
自分と関係ないと冷たい態度をとる人は、本当に僕のことを愛していないのかもしれません。
もちろん、自分の死を想像させて、愛を試すことは少し情けない部分です。
でも、どうやって相手が自分を愛してくれていると信じることができるのでしょう?
当たり前の日々などいらないと言う
するといつもの調子で君は語る
あなたの当たり前になりたいと言う
そんな日がくればいいなと言う
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
相手がいつもそばにいることが、親や友だちがそばにいることのように自然になる。
そういうことを求めることは必然です。
お互い、そんな日が来ることを求めて、愛をはじめるものだと思います。
もちろんそうではない人もいるかもしれません。
でも人間の心が満たされるのは、愛しあえる人と出会うことです。
だからこの歌で当たり前の日がくることを求めることを、自然な愛の行為だと考えます。
終わりは始まり 分かってるって ここまでもなんとかそうやって
いつもやってきたけど
これを終わらせたら間違いって 次の始まりなどいらないって
思える 今を ここで
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
何度も 何度でも 思い出せるように
歌にして
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
野田は、この恋を終わらせてはいけないと歌にしました。
歌に思いを託しているのです。
『生まれてはじめて』と『最初で最後』の
『一世一代』が君でした
あぁ『寝ても覚めても』『後にも先にも』
そういった類のものでした
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
だからこの恋愛を、"生まれてはじめて"で"最初で最後"で"一世一代"と言っています。
そういう相手が君だと歌っています。
「ラストバージン」とは、これを最初で最後の恋にしたいという決意なのではないでしょうか?
そしてその思いが本当だからストレートに歌にしています。
こんな気持ちはじめてと君は言う
そんなの当たり前だよと僕は言う
出典: ラストバージン/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
歌の最後では、こんな気持ちはじめてと言う人間が僕と君で入れ替わっています。
彼の恋はどうなったのでしょうか?
子どもや大人の中にある愛情を求める気持ち
子どもは怒ったり、何かを欲しいと言ったり、泣いたりして親の気持ちを自然に自分にむかせようとします。
この行動を心理学では、試し行動と言います。
子どもが親の愛情に疑問を抱いた時など、自分に気持ちを向けて欲しい時にこの試し行動をします。
そして試し行動は恋愛の中でもみられるものです。
なぜ試さなければならないのか?
自分の中に相手の愛への疑念があるからです。
もちろん、子どもの試し行為は大人が何度も何度も受け止めなければなりません。
同じように恋愛の中では、どちらかが愛に疑念を感じた時に、どれぐらい相手が愛してくれているか試したくなるのです。
この試し行動は、男女どちらにもみられ、満たされていないどちらかがどちらかを試します。
信じること、信じられることが、愛の成就には必要です。
だから、最初で最後の恋を愛にしたいと歌う願いが響いています。