昭和のスター、最期の名曲

石原裕次郎さんといえば、言わずと知れた昭和の大スター

この曲は年の1987年8月にリリースされました。

ここでおや?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

石原裕次郎さんが亡くなったのは1987年の7月。実はこの『北の旅人』は、亡くなった後にリリースされたシングルなんです。

壮絶な背景を持つヒット曲

癌に侵されながらも、療養先のハワイで『わが人生に悔いなし』などと一緒に録音されたこの曲は、

石原裕次郎さんにとってはまさに最期の曲と言えるかもしれません。

オリコンチャートでは自身初の週間一位を記録し、累計の売り上げは125万枚に上る大ヒット曲となりました。

そんな名曲『北の旅人』ですが、やはりタイトルの「」が気になりますよね。

まずは作品のキーワードとなる「北」から分析してみましょう。

なぜ歌謡曲や演歌は北を目指すのか?

歌謡曲や演歌には「北」を題材にした歌が多い印象があると思います。

石川さゆりさんの『津軽海峡冬景色』や五木ひろしさんの『北酒場』、

新沼謙治さんの『津軽恋女』や吉幾三さんの『雪国』など「北」や「東北」をテーマにしたヒット曲も数多く存在しています。

「北」が持つイメージ

その理由に関しては諸説あります。

  • 雪の降る寒い地方の情景は悲恋の歌と相性がいい
  • 都会に出てきた人にとっての「故郷」のイメージ
  • 都会から離れる=恋人と別れて地元へ帰るという構図
  • 北海道や東北出身の歌手がヒットを飛ばしたから

などなど様々な説がありますが、どれが正解かというのは定まっていません。

ですが、多くの「北」を題材にした曲に共通しているのは「別れ」や「失恋」など物悲しいものが多いのは事実です。

では、この『北の旅人』はどのような歌詞世界なのか具体的に見ていきましょう。

男は北海道を旅する

この歌は三番までありますが、その最後にはそれぞれ一番では「釧路」、

二番では「函館」三番では「小樽」と北海道の具体的な地名が登場します。

どれも北海道を代表する都市ですね。

ですが、他にも札幌や旭川などの有名都市がある中、これらの都市が歌の舞台として選ばれたのは何故なのでしょうか?

詳しく分析してみましょう。

なぜ最初に「釧路」なのか?

たどり着いたら岬のはずれ

出典: 出典: 北の旅人/作詞:山口洋子 作曲:弦哲也

歌の冒頭にあるように、この歌の主人公は一番でどこか別の場所から釧路を訪れたことが分かります。

ですが、現代の感覚からすると「なぜ最初に釧路?」と思うかもしれません。

北海道の東側に位置し、空港のある千歳や新幹線の通っている旭川からもかなり離れています。

なのになぜ、一番でいきなり釧路なのでしょうか?

実は、この歌詞を理解するためには当時の交通機関の事情を知っておく必要があるのです。

釧路は北海道の玄関口だった

今でこそ飛行機や新幹線で北海道を訪れることは普通ですが、80年代末にはもう一つ「フェリー」が主要な交通手段として存在していました。

この路線が開通したのは1972年。釧路と東京・有明を結ぶものでした。

バブルの時代とはいえまだ飛行機が富裕層の乗り物であり、夜行列車も東北までしか繋がっていない時代、フェリーの存在は今以上に重要なものだったのです。

そして、フェリーの寄港する釧路はまさに当時の「北海道の玄関口」だったということですね。

もし仮にこの歌の主人公が最初に飛行機で「千歳」を訪れていたとしたら、「そんな金持ちの歌には共感出来ない!」という反応もあったかもしれませんね。

函館の夜霧