ちっぽけな縁起かついで
右足から家を出る
電車はいつもの街へ 疲れた身体を運ぶ
出典: ラララ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
まずはAメロの歌詞です。
この曲の主人公は恐らく社会人。
毎日毎日同じ時間に起き、同じ時間に出る電車に乗り、同じ生活を繰り返す日々。
主人公は、「同じ」ことだらけな生活を厭(いと)わしく思い、つまらないジンクスを試します。
仕事もやりたい仕事ではなく、雪かきのように業務をこなすだけ。
主人公はそんな日々に嫌気がさしています。
Bメロ
昨日と違う世界 あったっていいのに
僕も欲しいのに
出典: ラララ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
Bメロの歌詞は、人間なら誰しもが願うことです。
不満ややるせなさをぶつける所がなく、ジレンマに陥る。
結局、自分自身が変化しないと世の中は変わらない。
そのことを分かっていながらも、責任を自分ではなく「他」へ向けてしまうのです。
こんな経験は、誰もがすると思います。
主人公が感じているのは、もしかしたら「不満」という強い感情ではないかもしれません。
「願望」、「希望」といった、「不満」よりは弱い感情かもしれませんね。
ただ、人間は「願望」や「希望」を達成できないと、「不満」につながってしまうことがあります。
主人公はまったく一般的な人物であるといえるでしょう。
サビ
簡単そうに見えてややこしく
困難そうに思えてたやすい
そんなLa La La そんなLa La La
探してる 探してる
出典: ラララ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
この世は第一印象や直感がすべてではありません。
例えば、初めて会った人の面相が怖かったとします。
しかし、その人と仲良くなるうちに印象が変わることがあります。
そして、「ああ、この人は良い人なんだな」という「確証」へ変化することもあります。
サビの歌詞は、そんな「印象」についてのメッセージ。
物事や人物に深く分け入っていかなければ、その本質は分からない。
バイアスをかけずに対象を見なければ、本質は見えてきません。
さて、歌詞の3行目にある「La La La」は英語表記になっています。
このことに意味はあるのでしょうか?
おそらくあると思います。
この曲の作者である桜井さんがリスナーへ配慮したのだと思います。
リスナーが歌詞を見て、選択対象を類推しやすいようにわざと英語表記にしたのだと思います。
「ららら」と「ラララ」。
このように、ひらがな表記とカタカナ表記では、脳内でイメージする印象がだいぶ変わります。
このあたりに桜井さんの優しさが垣間見えますね。
2番Aメロ
"葡萄酒が体にいいぞ"と並ぶ週刊誌の見出し
長生きはしたくもないけど 何気に酒屋を覗く
出典: ラララ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
2番Aメロの歌詞も、日常的な一コマを切り取った歌詞です。
今生きている感覚でこれからも生きるのだったら、特に長生きはしたくない。
主人公はそう思っているのでしょう。
そう思う主人公の気持ちも分かります。
仕事をして帰宅して仕事のために寝る。
こんなルーチンをしていたら、人間は腐ってしまいますからね。
糊口をしのぐためだけに仕事をやると、こんなマンネリズムに陥ってしまいます。
そんな生活に変化をつけたい主人公。
解決策を見出せないままです。
2番Bメロ
いろんな情報が行き交う
要りもしないのに 手を出してみたり
出典: ラララ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
情報社会に生きる私たち。
世の中に情報があふれかえっています。
あまりにも情報量が多すぎて、情報の選択に誤りがある場合もありますよね。
どうやら主人公もそういう体験をしたみたいです。
とにかく何としてでも今の生活から抜け出したい。
そんな主人公の強い思いが感じられる歌詞ですな。
この部分の歌詞に共感する人は多いと思います。