自信過剰な少年少女 認められない不遇な才能
何者にもなれない怒りと それとは裏腹の自己嫌悪
誇り高き少年少女 それでも曲げぬ自分の意志を
未だ枯れない表現欲と 無謀さを武器に駆ける浮世
出典: ジュブナイル/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
「自信過剰」と言うのは、自分が表現したいことはあるけれどそれが認められないという現状をあらわしています。
社会やまわりから認められないことに対するやり場のない「怒り」と、それとはまったく逆の「自己嫌悪」を感じているのです。
信じていながらも、まわりから認められないでいると自分が間違っているのではないかと感じるものです。
それでも自分の意志を曲げることはありません。もっと表現をしたいという想いが、傍から見ると実現できないことに取り組んでいると映るかもしれません。
しかし、それこそが最大の武器なのだと思います。何かを「表現したい」「伝えたい」という気持ちは行動の原動力になりますよね。
そこから一歩も動かないのなら 君は「侮辱された人間」だ
そこから一歩歩き出せたら 君は「負けなかった人間」だ
怖いとは言うべきじゃないな 辛いとは言うべきじゃないな
どうせ誰も助けてくれない それを分かって始めたんだろう
出典: ジュブナイル/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
『ジュブナイル』の歌詞で一番大切なことを言っているのはこの部分だと思います。
自分の信じることをバカにされて笑われて何もしなかったらそれで終わりです。
しかし、そこから「一歩歩き出せたら」、そのような侮辱に「負けなかった人間」になれます。
考えや想いを形にすることは、どのように人から見られるのか「怖い」ものです。
また、思ったとおりに表現できなければ「辛い」と感じるでしょう。
しかし、自分が生み出すものや伝えようとすることは自分にしかわかりません。助けてくれる人はどこにもいないのです。
それに負けずに勇気を持って、一歩を踏み出すことが大切だと思います。
最後の最後に笑顔になれれば
君が君で居られる理由が 失くしちゃいけない 唯一存在意義なんだ
ここに讃えよ愚かなジュブナイル 最後の最後に 笑えたらそれでいいんだよ
物語は始まったばかりだ
出典: ジュブナイル/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
たとえまわりからなかなか認められなかったとしても、自分が自分でいられるのは信じていることがあるからです。
それは他の誰かが求めていることかもしれません。それこそが、「存在意義」になります。
それまでの過程において、どれだけ笑われたりバカにされたりしても構わないのです。
一歩を踏み出して進み続けていくことで、「最後の最後」に笑顔になれたらそれで良いでしょう。
「物語は始まったばかり」とは、まだ夢への物語ははじまったばかりという意味はもちろんあります。
そして、自分が終わりにしなければ物語は続いていくという意味もあるのではないでしょうか。
このように『ジュブナイル』の歌詞は、まわりを気にせずに夢に向かって進む人をまっすぐに応援しているのです。
PVはこちら
『ジュブナイル』のPVについて紹介します。
病院で入院する少女や歌を作ろうとして悩む少年が登場人物のアニメーションです。
自殺すらも考えていた彼女が、少年が唄う『ジュブナイル』に救われるシーンは思わず涙がこぼれそうになります。
amazarashiのPVはどれも見応えのあるものとなっていて、楽曲の魅力をより深く感じられることが特徴です。
まとめ
今回は、amazarashiの『ジュブナイル』について紹介しました。
2017年1月に『ジュブナイル』を原作とした舞台も公開されました。演劇プロジェクト「Stage Project ILLUMINUS」の旗揚げ公演として披露されたそうです。
楽曲をモチーフにして舞台が作られることはあまり聞いたことがありません。これは、『ジュブナイル』がそれだけ人の心に訴えかける魅力があるという証明ではないでしょうか。
この記事を読んで、amazarashiに興味を持った方は公式サイトで最新情報もぜひチェックしてみてください。
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