呼ばれて飛び出てこの世に参上
皆様よろしくどうぞ
楽しくなったり哀しくなったり
忙しのない日ばかりだ
帳を上げろや昼行灯ほら
ここらでおひとつどうだ
我らは現代の妖怪だ!

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

「呼ばれて飛び出て」というセリフ、どこかで聞いたことがありますね。

楽しいことや悲しいこと、毎日は忙しない(せわしない)ことばかりです。

「昼行灯(ひるあんどん)」というのは、昼間なのに行灯(夜中に持ち歩く明かり)をつけているぼんやりした人、マヌケ、という意味。

そんな忙しない世の中で帳(とばり)をあげろやと昼行灯に呼び掛けています。

ちょっぴりぼんやりした人、せわしなく働く人、みんなまとめて現代の妖怪です。

まだ信じている

頓珍漢なことばかり
まだ信じている
狸の背中に火を灯せば ほう
あんあん ぱっぱらぱの行進
やってやれほら
バケツ叩いては声上げろや ほう
明るい夜の到来だ ようそろ

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

「狸の背中に火」といえば童話の「かちかち山」を思い出します。

かちかち山のように悪い事を繰り返していると、罰を受けるという暗喩でしょうか。

声を上げありもののバケツなどを楽器にして練り歩く妖怪たち。

「明るい夜」というのは、現代日本の「眠らない街」を示しているのかもしれません。

街中にあるコンビニを始めとした、24時間開いているお店に縛られる人たちの悲哀。

そういうものを歌っているのかもしれません。

お願い全てを投げ付けて

みなみな欲望詰め込んだ
そのペラペラ少女とニヤケ猿
お願い全てを投げ付けて
また一人で快楽部屋の隅
ほら頭と目ばっか肥えて行き
青白い顔

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

皆の欲望を詰め込んだペラペラ少女。

まるで二次元のキャラクターの事を言っているようです。

願望をすべてぶつけられる彼女たちに、にやけた表情で寄ってくる猿。それが私たちの事でしょうか。

部屋の隅で一人凄し、他者との接触を持たない。

理想のキャラクターばかりを相手にしていると、頭と目ばかり肥えてしまう。

そんな警鐘を鳴らしているようです。

孤独で遊説を

雨降る夜には傘になり
その体で誰かと雨宿り
お歌を歌えば人を騙し
また誰彼構わず慰める
ほら盲信者増やして傘下に置いて
孤独で遊説を

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

誰かの悲しみに寄り添って、雨をしのぐ傘のような存在となっている、そんな妖怪。

しかし誰彼かまわず慰めて、人を騙す。

騙して集めた人々を相手に遊説(ゆうぜい)をして、悦に入る。

けれどその裏には癒えない孤独があるのでしょう。

嬉しくなったり怒り狂ったり

生まれて初めてこの世に登場
続きは表でどうぞ
嬉しくなったり怒り狂ったり
忙しのない日ばかりだ
その手を下ろせや用心棒ほら
ここらでおひとつどうだ
我らは現代の妖怪だ!

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

生まれている時点でこの世に登場しているはずなのに、「生まれて初めて」登場とはどういう意味なのでしょう。

「妖怪」というのは「あの世」の存在。「この世」に初めてやってきて、居心地の悪さを感じている。

そういう意味があるのかもしれません。

だからこそ、「我らは現代の妖怪だ!」という主張が生きてくる気がします。

どんでんひっくり返し行こうや

どんでんひっくり返し行こうや
スチャラカほいさ
狐の頭に水被せば ほう
あんあん ぱっぱらぱの行進
やってやれほら
薬缶鳴らしては声合わせや ほう
明るい夜の到来だ ようそろ

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

世界に居心地の悪さを感じている「妖怪」たち。

けれどそれをひっくり返してやろう、そういう意志を感じます。

薬缶(やかん)をガンガンと鳴らしながら行進。楽しげではありますが、どこか投げやりな印象も受けますよね。

この「投げやりな印象」こそがこの歌のミソである気がしてなりません。

ああいまさらどうでもええわ

こんな具合になったのは
誰のお陰だろうか
こんな具合になったのは
ああいまさらどうでもええわ

こんな具合になったのは
誰のお陰だろうか
こんな具合になったのは
ああいまさらどうでもええわ

出典: 百鬼夜行/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

からの「ああいまさらどうでもええわ」です。

完全にどうでもよくなっちゃってます。

この諦めの境地を、皆さんも一度は体験したことがあるんじゃないでしょうか。