千代の富士はぼくが子どものころの大横綱です。小さい体のそそり立つ壁。そんな印象がありました。

松山千春と千代の富士は同じ北海道出身で同い年。千春曰く「田舎モン同士気が合った」そうで、大横綱を「貢(みつぐ)」と下の名前で呼ぶほどの仲。

千代の富士の引退後には、ドラマ「千代の富士物語」の主題歌「燃える涙」を提供。千代の富士没後の「お別れの会」では、千春が弔辞を読み上げています。

ビッグな千春はたたき上げ

とはいえ千春も初めからビッグだったわけではありません。実家はお金持ちでもなければエリートでもありませんでした。

ド貧乏な田舎モン

足寄より―激白23年
松山 千春
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松山千春は北海道・十勝地方の足寄町生まれです。「足寄町」は「あしょろちょう」と読みます。難読地名のひとつ。

今や足寄といえば松山千春、千春といえば足寄町ですが、少年時代の松山千春は貧しい家庭に育ちました。

家計を助けるべく大学へは進まず、家業や親戚の仕事を手伝いながら、フォークコンテストに応募します。

そのコンテストでラジオ局のディレクターに才能を見出され、1977年「旅立ち」でレコードデビューを果たすのです。

北海道を愛するフォーク・シンガー

 「旅立ち」の翌年には大ブレイクした松山千春。しかしどんなに売れても有名になっても東京に拠点を移すことなく、一貫して北海道をベースにした音楽活動を継続中。

地元愛が強く、「北海道を愛するフォーク・シンガーである」というポリシーを持つ。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/松山千春

全国ツアーや東京での仕事など、目的地へは新千歳空港から飛行機で向かいます。

新千歳からの離陸が遅れた全日空機の機内で、「大空と大地の中で」を歌い、ざわつく乗客をなだめた男前伝説は記憶に新しいところ。

松山千春も千春の歌も、北の大地が育んだ北の大地の財産なのです。 

大空と大地の中で
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初のNo.1ヒット「季節の中で」

松山千春の名前を世間に最初に知らしめたのが、これからご紹介する「季節の中で」。1978年8月21日発売、自身5枚目のシングルです。

ビッグな千春がビッグに振る舞えるのも、この曲が売れに売れたおかげです。「季節の中で」を抜きにして松山千春は語れません!

オリコンチャート6週連続1位

初動がすべての現在のチャートとは違い、ちょうど40年前のヒットチャートは牧歌的。

「季節の中で」がオリコン1位を獲得したのは、発売から2ヶ月以上経った11月の第1週。

そこから6週連続1位に輝き、あわせて11月と12月の月間チャートでも1位、ミリオンセラーを達成しました。

「ザ・ベストテン」で初のテレビ出演

このころのシンガーソングライターは、テレビに出ないことが一種のステータスでした。

松山千春も例外ではなく、テレビ出演を断り続けたものの、音楽番組「ザ・ベストテン」のプロデューサーの説得に折れ、一回こっきりの条件で11月16日の同番組に初出演。

ギター一本、コンサート会場からの中継で、圧巻のパフォーマンスを見せつけました。この番組でも7週連続1位の記録を打ち立てています。

「ザ・ベストテン」にはその後何度か出演したそうですが、ぶっちゃけキャラ全開の千春に慣れたぼくからすれば、冗談みたいなエピソードです。

歌詞とカラオケ歌唱指導

まずは本人歌唱から