「旅立ち」をきっかけとしてフォークシンガー松山千春が誕生
全国フォーク音楽祭
残念ながら地区予選は通過したものの、全道大会での入賞とはなりませんでした。
しかし、地区大会会場で、当時札幌テレビ放送(STV)・STVラジオのディレクターであった“竹田健二”との出会いがあります。
「旅立ち」と“竹田健二”との出会いがデビューのきっかけとなりました。
竹田健二との出会い
全国フォーク音楽祭地区予選会で「旅立ち」を聴いた竹田健二は、松山千春を“ギターがひどいな”という言葉で評価しました。
言葉だけを聞くと完全なダメ出しのように聞こえてしまうかもしれません。
しかしこの言葉には“君は素晴らしい歌を唄うのにギターがひどいのがもったいない”という意味が込められていました。
この言葉を受け、松山千春は“俺はギターの品評会に来たんじゃない。歌の批評をしてくれ!”と反論したそうです。
若い頃から音楽に対する自信と強気な姿勢は今と変わらないんですね。
ラジオ戦略の成功と永遠の別れ
この時点から竹田健二は、“松山千春を自分の手で立派なフォークシンガーに育てたい”という思いがあったといいます。
竹田健二自身が担当するラジオ番組で松山千春をレギュラーに抜擢し、毎週オリジナル曲を唄う機会を与えました。
このラジオの影響は大きく、松山千春の名を北海道に轟かせることになります。
これは、松山千春の物おじしない強気のトーク。それとはイメージの違う繊細な曲と高い歌唱力が大きな要因となりました。
“松山千春”という名前ともに「旅立ち」が北海道地区のヒットチャートでトップを獲得するほどの支持を得ていきます。
1976年に発表された「季節の中で」も同様にヒットする結果となりました。
また、松山千春がラジオ番組“オールナイトニッポン”(水曜2部)のパーソナリティとなったことで、その人気は全国的な規模へと拡大していきました。
しかし、松山千春を見出した育ての親ともいうべき竹田健二は、1977年8月急性心不全により急逝してしまいます。
残念ながら松山千春の成功を見届けることができませんでした。
「旅立ち」歌詞に秘められた思い
私の瞳がぬれているのは 涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
この日がいつか来る事なんか 二人が出会った時に知っていたはず
私の事などもう気にしないで 貴方は貴方の道を歩いてほしい
出典: 旅立ち/作詞:松山千春 作曲:松山千春
「旅立ち」=“別れ”
タイトルのあるように「旅立ち」の歌です。また、別れの歌としての一面もあります。
二人に別れの時がきたけど、この別れの日が来ることは出会った時からわかっていたはず。
すべての恋愛と出会いには別れの時が来ます。それは誰もがわかっていることですが、出会った時に別れを考える人は少ないでしょう。
しかし、つらい旅立ちと別れの時を迎えて“別れが来るのはわかっていたこと”と思うことで自分を納得させようとしているのでしょう。
だから私は泣いたりなんかしない。瞳が濡れているのは涙のせいじゃない。と強がっている女性の姿が浮かんできます。
あなたの「旅立ち」に涙はいらない
さよならいわずに笑ってみるわ 貴方の旅立ちだもの 泣いたりしない
言葉はいらない 笑顔をみせて 心の中の貴方はいつもやさしい
出典: 旅立ち/作詞:松山千春 作曲:松山千春