ここまでの歌詞に比べ、非常に直接的な表現であることが特徴的な部分ですね。
内容も、自分の軸を変えることなく生きていこうとする強い決意表明のように感じられます。
だからこそあえて、他の部分との差別化の意味で明快な表現にしたのかもしれません。
1行目、笑うのは当然世間一般の人々です。夢を追い続ける人たちのことを嘲笑っています。
しかし本気で夢を追っているのであれば、そんな外野の声に惑わされることはありません。
自分自身が決めたことは、同じく自分自身が決めた場所で最後までやりきる。
それが「此処」に留まる理由です。
囚われの主人公
世間からの評価に惑わされるな
招かれざる誰かの理想に殺される歌
そんな無様な生き方に答えがあるのか?
出典: Ash/作詞:京 作曲:DIR EN GREY
夢はその人だけのものです。
もちろん叶える過程において、様々な人からのアドバイスが必要な場面もあるでしょう。
しかし根本的に、その行動1つ1つが夢を追う本人に委ねられています。
周囲がその人の歩みを邪魔することなどあってはならないのです。
しかし実際には、周囲の人たちによって意図的に生み出された障害を乗り越えなくてはなりません。
それはつまりDIR EN GREYを例に出せば、「世間からの反応」「一般ウケ」ということです。
1行目「~理想」とはまさにこのことを意味しているのでしょう。
周囲からの評価は非常に重要です。批判も時には受け入れるべきアドバイスかもしれません。
しかしそれを第1に考えたとき、それに価値はあるのでしょうか。
周囲からの評価のためだけに自分自身の夢をねじまげること。
それをここでは「無様」だと言い切っています。
それは本当に君のため?
お互いを知らない
見様見真似で誰を狩る
(夢を見ない君へ)
明日はどう生きる?
出典: Ash/作詞:京 作曲:DIR EN GREY
夢追い人たちを邪魔する世間の声も、元を辿れば1人1人の声が集まってできています。
それが集まることで、夢追い人が必死に乗り越えなければならないほど大きな障害になっているのです。
ここの歌詞では、そんな障害を作り上げる1人1人へ疑問を投げかけていますね。
結局のところ世間からの反応、なかでもネガティブな反応1つ1つに深い意味などありません。
それは2行目にある通り、誰かの真似をして吐き出された空っぽの言葉だから。
夢を見ることを知らず、夢追い人を批判し続ける人々を3-4行目では厳しく責め立てています。
夢追い人が追いやられる世界
隅に追いやられてもなお…
雁字搦めの溝鼠の世界
雁字搦めの溝鼠も殺す世界
出典: Ash/作詞:京 作曲:DIR EN GREY
ここでも夢追い人たちが、世間からの反応やウケに囚われている様子が綴られています。
溝鼠とはその名の通りネズミの一種で、地表で生活をしている生き物。
必死に地を這いまわる姿はどこか、夢追い人が必死に努力し下積みする姿を彷彿とさせますね。
しかしそうして必死に生きる溝鼠のような夢追い人たちを、夢を見られない人たちは簡単に否定します。
そんな悲しく苦しい世界の状況を綴っただけの歌詞ですが、そこに込められたやるせなさも感じられますね。
それでも決して諦めない
誰かに笑われようとも此処に居る
私は私
出典: Ash/作詞:京 作曲:DIR EN GREY
しかし溝鼠たちはそんな世界だろうとお構いなしに、しぶとく生き残ります。
前半に登場した歌詞の繰り返しではありますが、夢追い人たちの強い決意がさらに感じられるような気がしますね。