「裏の裏」の歌詞は、パスピエらしさを活かしつつも「境界のRINNE」の世界観も表現しています。
ということで、歌詞の解説に入る前にまずは「境界のRINNE」について簡単に触れておきましょう。
同作は、「犬夜叉」や「らんま1/2」「うる星やつら」で知られる高橋留美子の作品です。
コメディやバトル、ラブコメ要素を取り入れた、この世とあの世を描く内容となっています。
あらすじを見てみましょう。
女子高校生・真宮 桜は、幼いころに神隠しに遭い、あの世でもこの世でもない境界・輪廻の輪の近くに連れて行かれた過去をもつ。(中略)それ以来、何故か「霊が見える」ようになってしまった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/境界のRINNE
ヒロインはこの霊が見える女子高生です。
淡々とした冷静な性格で、恋愛にも鈍いところがあります。
彼女は高校入学後、1度も登校しない隣の席の男子・六道りんねのことを気にかけていました。
このりんねが主人公の男の子です。
りんねは現世に彷徨う霊魂たちを導き輪廻の輪に乗せる「死神のような仕事」を人知れず行っていたが、祖父の死後赤貧に喘ぎ、「高校の制服すら買えずに一張羅は中学指定のジャージ」で「死神道具の購入資金に充てる小銭にさえ事欠き」、「老朽化により使われなくなったが『霊障』が原因で取り壊しが見送られている高校のクラブ棟にこっそり住み着いている」有様だった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/境界のRINNE
この2人を中心に、りんねと因縁がある死神やさまよえる霊たちとの騒がしい日々が描かれます。
そして、ゆっくりと惹かれ合っていく2人の恋模様も楽しむことができる作品です。
歌詞を解説
裏の裏=表?
開かずのドア ひらけゴマでちょいと腕試し
今日はなんだかいけないことしたいのよ
誘い口上 並べて登場でさあ始めようか
秘密はひとりで 内緒はふたりで 指切りの合図で
キミとボクがリンクする 境界線なら綱渡り
踊れや歌えや今夜 あの世もこの世もない
右か左か 良いか悪いか
くるくるくる変わる
きっと答えはウラのウラ
出典: 裏の裏/作詞:大胡田なつき 作曲:成田ハネダ
1番の歌詞から見ていきましょう。
パスピエの楽曲を歌詞の面で支えているボーカル・大胡田なつきによる独特な世界観が広がっています。
登場人物は"キミ"と"ボク"の2人ですね。
冒頭の"ドア"とは、キミの心の扉でしょうか。
なかなか本音をつかめないキミの心にアプローチしている様子が浮かびます。
「境界のRINNE」に重ねてみると、筆者はボクにヒロインの桜を重ねました。
思春期の恋愛はどこか他人事で仕事のことばかり考えているところのあるりんね。
桜はそんなりんねに対して無自覚な恋心を抱いています。
「あの人はどう思ってる?」と試しているような歌詞が、無自覚さを表しているようです。
サビは作品を意識しているキーワードが多くなっています。
"境界線"や"あの世とこの世"などが、作品の世界観にマッチしていますね。
「裏の裏」という曲名の語感に寄せた言葉遊びが詰まっているサビ、という印象です。
反語や類語が並べて配置してあり、それが繰り返されることで楽曲の中毒性が高くなっています。
サビを通して、筆者は「好き」か「好きじゃないか」の間で行ったり来たりしている様子が思い浮かびました。
そして、最後に答えが"ウラのウラ"にあると言っています。
普通に考えると裏の裏は表です。
でも、この歌詞が言っている裏の裏はもっと複雑なもののように感じます。
たとえば、この世=表であの世=裏だとすると、裏の裏=表です。
表の世界しか知らない人にとっては、確かに表は文字通り表です。
でも、裏を知っているりんねや桜たちの目を通して表の世界を見ると、それは表と言えるでしょうか?
純粋に表だけを見ている人と、裏を見てから表を見た人では違う世界が見えるような気がします。
それは感情についても言えることかもしれません。
純粋な「好き」よりも、もっと色んな感情が混ざりあった「好き」を感じている。
そんな胸の内を想像させるサビではないでしょうか。
表も裏も関係ない?
御伽噺 信じちゃいないし そんな目くらまし
今日はなんでもできそうじゃない
ねえ、そうじゃない?
先手必勝だって タッチの差だって
散々こだわってさ
言い訳しないでよ 泣いたら負けだよ にらめっこしましょ
キミとボクがリンクする 境界線なら綱渡り
踊れや歌えや今夜 あの世もこの世もない
右か左か 嘘か本当か
めまぐるしく変わる
いつの間にかウラのウラ
出典: 裏の裏/作詞:大胡田なつき 作曲:成田ハネダ
2番の歌詞は、1番とはまた違った印象を抱きました。
1番では揺れる気持ちでぐるぐると同じところを回っているようなイメージ。
2番はもっと強い意志を持っているような印象を受けました。
世界の善悪も常識もめまぐるしく変わっていく。
表だと信じていたものがいつの間にか裏になって、裏が表になっている。
そんな世界では、自分の信じるもの、自分が出来ることが正解なんだ。
筆者はそんなメッセージを受け取りました。
作品に寄せて考えてみると、2番はどちらかというとりんねを想起しました。
人間と死神のハーフという生い立ち。
加えて幼い頃から人間界と死神界、両方の学校に通う生活を送ってたりんね。
彼にとっては裏も表もあんまり関係なくて、どちらも自分にとって欠かせないものでしょう。
この歌詞を読んでいて、りんねにとって"世界"とはどんなものなのか。
そんな新たな視点で作品を振り返ることができました。
余韻を味わう
裏に表なし 反対側は何なの
面妖なおもてなし 見抜いてまやかし
どっちが正解かしら 右往左往知らん知らん
こっちの世界かしら 境目でゆらゆら
もう少し あともう少し 変わる変わる裏返る世界
今 声が届くように
キミとボクがリンクする 境界線なら綱渡り
踊れや歌えや今夜 あの世もこの世もない
右か左か 良いか悪いか
くるくるくる変わる
きっと答えはウラのウラ のウラ
出典: 裏の裏/作詞:大胡田なつき 作曲:成田ハネダ
1行目で、裏には表がないと歌っています。
やはりこの楽曲が表現するのは、裏の裏=表という単純な図式ではないようです。
3行目や4行目の歌詞から、この楽曲自体が明確な答えを用意していないということが読み取れますね。
そのあたりは聞き手に委ねられているのでしょう。
パスピエの楽曲はこの手の、聴く人の想像力に任される余白が多い傾向があります。
どちらの世界にいるか分からない、だけど声を届けようとしていますね。
大事な人の声がする場所、そこがその人にとっての表の世界なのかもしれません。
ラストの歌詞がインパクト大です。
ここまで裏の裏だったのに、最後の最後でさらに裏になっています。
結局また裏に戻ってしまっているんですね。
ここで、聞き手はまた考えさせられます。
この裏は最初にいた場所と同じ裏なのか。
それとも表に行って戻ってきた、また違った世界なのか。
想像する余韻を残して終わる、なんともパスピエらしい楽曲となっています。