多様な音楽性が魅力
2006年にリリース
4枚目のオリジナル「ATTITUDE」に収録されています。
今から10年以上前にリリースされたとはいえ、全く色褪せるどころか、聴けば聴くほど味が出るような気がします。
何故かダサいと言われることがある彼らですが、とんでもない!カッコイイじゃないですか!
単にヒップホップにとどまらず、歌謡曲やディスコテイストなど様々な要素をもつ多様性に富んだ音楽を提供し、私たちリスナーを楽しませてきました。
実際Diggy-MO’はサザンオールスターズの影響も受けたそうです。
ジャンルにこだわらず良いものは良い、そういうスタンスでいたことによって魅力ある楽曲を提供できたのかもしれませんね。
残念ながら
2014年に解散してしまいました。
しかし数々の良曲を残してくれた彼ら、そのうち今回紹介する「Starlight Destiny」について見ていきましょう!
まずはPVから
派手さはないけど
タイトルの「starlight」の通り無数に飛び交っている白く輝くものは、当然ながら星の光をイメージしています。
星の光が飛び交っているにもかかわらず、ビデオの内容はどちらかというと地味です(笑)。
暗い倉庫のような所でただひたすらパフォーマンスするといった様子で、派手さは一切ありません。
海外のヒップホップアーティストたちがジュエリーをジャラジャラと身に着けながら水着姿のお姉さんたちと踊る、というようなビデオを見たことがあると余計そう感じます。
とまぁ日本と海外を比べたところで仕方ないんですけどね…。
でもそのような何処か職人気質な所、それこそが彼らSOUL'd OUTの魅力なのでしょう。
歌詞をチェック
言葉の不思議さ
揺るぎない炎 By all seven of my senses
今をつなぎとめる大切な友の愛に俺はベストを尽くすぜ
とどけ Music
Yo,狂いそうになるくらい未来追い求めて叶わない Why?
見つかったものはいらないものばっかりじゃないはずだろ
出典: Starlight Destiny/作詞:Diggy-MO’/Bro.Hi 作曲:Diggy-MO’/Shinnosuke
熱いメッセージですねぇ、何と友達思いなんでしょうか。
なかなか面と向かってこのようなセリフを吐くのは照れますよね。
あるいは少しひねくれた見方をすれば、「本当かなぁ?」と若干懐疑的な感情が生まれそうになってきます。
とはいえ、言われて不快な言葉ではないかと思います。
おそらく言われて不快な気分になるとすれば、それはそのセリフが問題なのではなくて、ただ単にそれを言った人物のことを嫌いなだけでしょうから。
言葉というものは不思議なもので、同じ言葉でも、言う人物によって重みが全く違ってくるのが面白いですからね。
思わずノッてしまいます
叫べ刹那のMELODY魅せられる程このMYSTERY
何も失わずに手に入れたものなどくれてやる
こだましろ HO!JUST MAKE MY HEART ECHO,ECHO
何度でも HO!JUST MAKE MY SOUL ECHO,ECHO
出典: Starlight Destiny/作詞:Diggy-MO’/Bro.Hi 作曲:Diggy-MO’/Shinnosuke
楽曲を聴いているとこの「ECHO ECHO」の部分、クセになって思わず一緒に「ECHO ECHO」と口ずさんでしまいそうになるのが、彼らが仕組んだマジックでしょうか。
まさにMYSTERYなMELODYってこと?
それにしてもここの「何も失わずに手に入れたものなどくれてやる」という箇所、彼らの真っ直ぐさを感じます。
何かを手に入れるためには、おおむね何かしら犠牲を払うことになります。
例えば医者になるという夢がある場合、まず大学などに入って勉強する必要がありますから、その為には多額の学費を支払わなければならないという犠牲が生じます。
そして入学後も勉強し続けなければなりませんから、遊ぶ時間が制限されるという犠牲も生じます。
誰だってみんなそう
「濡れ手に粟」という言葉があります(「濡れ手で粟」ともいいます)。
苦労せずに利益を得るという意味ですが、人間というのは本来怠け者です。
出来れば楽をしたいのが本音ですし、例えば朝の通勤ラッシュの電車への乗車など誰が喜んでしているでしょうか。
会社来なくていいし給料もちゃんとあげるよと言われれば、誰でも飛びつきます。
苦労せずに欲しいものが手に入れば「ラッキー!」って思うのが、本来の人間の性です。
しかしそんなことを繰り返していれば、待っているのは「堕落」です。
何も成長することはなく、そしてそれだけではありません。
本来だったら苦労してきた過程で得られるであろう、感謝の気持ちであるとか、やっと得られたものを大切に愛おしく思う気持ち。
そんなことを感じることなく、人や物をぞんざいに扱ってしまうのでしょう。
それに対する警告や、また自分自身への戒めの気持ちが込められているのかもしれません。