ヘッセの小説「荒野のおおかみ」とは?
「荒野のおおかみ」は1927年に発表された小説家ヘルマン・ヘッセの長編小説です。
急速に発展する文明に翻弄されながら自らや社会に対して無反省に日々の生活を送っている人達を痛烈に批判した作品です。
同作品は1970年台にカウンターカルチャー(対抗文化)の時代にバイブルとしてもてはやされた経緯があり、1900年代前半の文学書が現代でも読み続けられています。
あらすじだけで読み解くと、反社会的な側面が目立つが、実は人間とは?社会とは?文明とは何かを読み解く上で心理学的内容になっています。
では宇多田ヒカルはこの作品のどこにリスペクトされたのでしょうか?小説の一節から読み解いてみましょう。
宇多田ヒカルはどこに影響されたのか?
歌詞は後ほど読み解くとして、宇多田ヒカルの「荒野の狼」は本作品に大きく影響を受けていると断言できます。
ヘッセの「荒野のおおかみ」の一文に『もちろん彼らは考えることを欲しません。生活するように作られていて考えるように作られていません。』とあります。
宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』は生と死について唄われている曲が多くあります。
「忘却 featuring KOHH」は母親について唄われているフレーズがあったり、人の死について、死に際についての言及もされています。
「桜流し」もしかり、死について考えされられる記述があります。
「花束を君に」は自分の母親への追悼ソングのように聴こえます。
つまりは今作のアルバムのすべての曲が「荒野のおおかみ」の記述にあるように、理性から本能へ帰ろうと唄われているのです。
人の本能とは、つまりは生きて死ぬことだとは思いませんか?
それでは宇多田ヒカルの「荒野の狼」の歌詞を読み解いていきましょう。
宇多田ヒカルの「荒野の狼」の歌詞を読み解く
「荒野の狼」がヘッセの名作「荒野のおおかみ」からタイトルを拝借していたのはお分かりいただけましたか?
では次に歌詞を紐解いてみましょう。
先ず否定から入る歌詞は刺激的だ
惚れた腫れた 騒いで楽しそうなやつら
そうだそうだ お互いを肯定する輩
まずは仲間になんでも相談する男
カッコいいと思ってタバコ吸う女の子
出典: https://twitter.com/bris_en/status/877769232922025985
リアルに流されて生きている人たちを軽く否定して始まります。
ミディアムナンバーの曲で、明るい歌詞のように聞こえるかもしえませんが、言葉の端々にそうして生きている人を否定しています。
悪者とは何を指しているのか?
偽物の安心に悪者探し
私たちには関係無い
出典: https://twitter.com/AYAKA_HikkiLove/status/887263675794415616
誰にも消せない痛みを
今宵は私に預けなさい
荒野の狼 吠えても 朝が怖い
言葉にできない想いを
今宵は歌にして聴かせたい
荒野の狼 二匹の月夜舞台
出典: https://twitter.com/natsu_miraniki/status/909975430177841158
偽物の安心、悪者探し、このフレーズはマスコミを否定しています。
ここまで厳しく言及するのは、この曲を書いた時期が母親との確執を報道されていた時期だということに起因しているのではないでしょうか。
そうしてマスコミだけでなく社会に疲れた人に向けて、自分にその気持ちを預けてみろ!と唄われています。
荒野の狼と聴いて、一匹狼を連想させるのです。一匹狼だからこそ、吠えても吠えても世の中の潮流に流されてしまうとすら聴こえます。
その流れに抗うように気持ちを歌にしてあなたに届けたいと唄われているように聴こえませんか?
抗うことを諦めるな!
首輪つながれて生きるのはご免だね
愛情と引き換えに名前なんかいらない
出典: https://twitter.com/natsu_miraniki/status/909975430177841158
首輪につながれて生きるのはゴメンだ!と、宇多田ヒカルの活動休止の理由はこれだけではないけども、”普通に原宿とか渋谷を歩きたい”といって活動を休止したのをご存知ですか?
あの頃は毎日マスコミに追い掛け回されてうんざりしていたそうです。
14歳でデビュー、いきなりミリオンヒットを飛ばして国民的歌姫と呼ばれはしたものの、行動の自由を奪われてしまったことへの反発から活動を休止しました。
ここのフレーズ全てに、親への感情や世間への批判的感情が詰まっているように思えます。
それに抗うことを諦めなかった彼女だから、数年の活動休止でも受け入れられたのでしょうね。