映画Bohemian Rhapsodyでも登場した名曲!

QUEEN【Hammer To Fall】歌詞を和訳&意味解釈!ハンマーは何を伝える?叫ぶ理由とはの画像

QUEENといえば、誰もが知るイギリスを代表するロックバンドですね。

2018年公開の映画「Bohemian Rhapsody」で注目を集めました。

今日はその映画内で演奏された一曲「Hammer To Fall」の歌詞を解説していきます。

映画内で演奏されたとは、すなわちLive Aidにて演奏されたということです。

Hammer To Fallはキレッキレのライブパフォーマンスが記憶に新しい人もいるかもしれません。

そして力強いフレディーの歌声。

打ち付けるような前奏。

しかし、それらばかりでなく「歌詞の内容」もとても考えがいがあるものなのです。

では、考察を始めていきましょう。

待っていても何も始まらない

政治的な一曲

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歌詞和訳・解釈に入る前に、この曲ができた背景を知っておきましょう。

この曲は、Brian Mayの唯一ともいえる「政治を書いた曲」になっています。

政治とは、当時の冷戦下の状況のことです。

よって政治を風刺した用語がたくさん出てきますので、それらは都度解説します。

さて、そんな冷戦下において僕らはどうすべきなのか。

どう生きるべきなのか

その辺りがBrian Mayの書きたかったことだと思います。

小さな小さな僕たち

Here we stand or here we fall
History won't care at all

出典: Hammer To Fall/作詞:Brian May 作曲:Brian May

”ここに僕たちがたっていようと、倒れていようと

長い人類の歴史にとっては関係のないことさ”

少し絶望的な一節から始まります。

とるに足らない僕たち、その存在自体はでは何もできない。

なんだか古代ギリシャの哲学者のように、無力な人間を説いているようですね。

しかし、この曲の背景を知っていればその意味もわかるはず。

上に書いたように、冷戦という核戦争の最中にあったわけですね。

ですから、何も言わない恐れるだけの大衆の無力さというのを感じていたのではないでしょうか。

長い目で見たときにはとるに足らないことなのです。

Brian Mayは歌詞にこのような意味も込めています。

アルバム『ザ・ワークス』の8曲目に収録されている楽曲で、作詞作曲はブライアン・メイによるもの[3]。歌詞は核戦争のことを歌っている。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ハマー・トゥ・フォール

投下された核爆弾で自分が死んだとしても。

もし、愛する人を失ったとしても。

どんなに1人家で声を荒げようが何も変わらない

この歌詞はそれを伝えています。

自分のことは自分が

幸運を待つんじゃない

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Make the bed, light the light
Lady Mercy won't be home tonight.

出典: Hammer To Fall/作詞:Brian May 作曲:Brian May

”ベッドメイキングをして、灯りをつけて

慈悲の女神なんて来ないんだから”

ベッドメイキングをして、灯りをつけるとは、「きちんとする」ということ。

ぼやっと寝ぼけてないで目を覚ませ!ということですね。

そして印象的な次の一節。

慈悲とは情け、哀れみといった意味を持ちます。

こんな状況にいる僕たちを哀れんで、何か変えてくれる女神。

そんなものは来ないといっているのです。

これは当時から見れば平和な現代にもいえるのではないでしょうか。

何かを待っている、状況が変わるのを傍観している。

それでいいのか?ということです。

「自分」を生きているか?

You don't waste no time at all
Don't hear the bell but you answer the call

出典: Hammer To Fall/作詞:Brian May 作曲:Brian May

”ちょっとだって生きている時間を無駄にしちゃダメなんだ

電話なんて出なくていいのにお前は出てしまう”

さて、サビの歌詞解説をしていきます。

一言でいうとボサっと生きるなということですね。

何か他人の動きを待っている時間は無駄。

核爆弾が怖くて眠れない時間も無駄。

そして電話に出るのも無駄ということです。

要は他人を基準にして生きるなということですね。

電話をかけるのは、自分以外の人。

その自分以外の人の時間に生きることになってしまう。

そういっているのです。