「リバーサイドホテル」は、逃避行的な旅を続ける男女を描いた楽曲です。
しかしタイトルの」「リバー」が、実は死後の世界の「三途の川」ではないかという説がまことしやかに流れているのをご存知ですか?
「リバーサイドホテル」が「ホテルカリフォルニア」を下敷きにして作られた曲であるならば、もしかするとその世界観も共通しているのでは?と考えられているのです。
「リバーサイドホテル」の曲中に登場する男女は、既に命を落としていて、三途の川を目指して死後の世界をさまよっているのでしょうか?
そこで、「リバーサイドホテル」の1番と2番の歌詞を見ながら、少しホラーな観点から考察していきたいと思います!
1番の歌詞
二人は心中していた
誰も知らない夜明けが明けた時
町の角からステキなバスが出る
若い二人は夢中になれるから
狭いシートに隠れて旅に出る
昼間のうちに何度もKISSをして
行く先をたずねるのにつかれはて
日暮れにバスもタイヤをすりへらし
そこで二人はネオンの字を読んだ
出典: リバーサイドホテル/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
誰にも知られることなく、静かに旅に出る男女。
「誰も知らない夜明け」というフレーズが、ほんの少しの寂しさを感じさせます。
もしかしたら、道ならぬ恋に落ちてしまった2人なのかも知れません。
「昼間のうちに」…リバーサイドホテルがあるのが死後の世界だとしたら、「昼間」とはまだ2人が生きている現世のことを指しているのでしょうか。
死ぬ前にお互いの愛を確かめ合っている、と考えると物悲しい雰囲気を感じます。
「行く先をたずねるのにつかれはて」の部分は、自らの行く先がわからない状態であるとも解釈できます。2人はどこともわからない世界で、自分の行くべき場所を探しているのでしょうか。
となると、2人の死因はもしかして心中である可能性もあります。
そして「2人はネオンの字を読んだ」。
見知らぬ場所で、どこか不思議そうにネオンを見ている印象を受けるフレーズです。
魂のままさまよった末に、「三途の川」の象徴であるリバーサイドホテルに辿り着いたようです。
死者から見た風景
誰も知らない夜明け
出典: リバーサイドホテル/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
若い二人は夢中になれるから
出典: リバーサイドホテル/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
上記の歌詞も第三者的な視点で歌い上げられています。
彼らを見ている者は、若くない人物なのかもしれません。
若さゆえの死の選択なんだ、といっているようにも聴こえます。
そして生きた人間は知らない夜明け、つまり死後の世界の夜明けなのでしょう。
三途の川へ向かってバスが走って行きます。
これから心中しようとしている二人は、死ぬ前に何度も何度も愛を確かめたはずです。
死に場所を探していた
昼間のうちに何度もKISSをして
出典: リバーサイドホテル/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
上記の歌詞から先は、死の直前までの様子が描かれているとも解釈が可能です。
どこで心中しようかと二人は決められずにずっとバスに乗っています。
死に場所がなかなか決まらないのでしょう。
どこにしようか…。
そんなやりとりが聴こえてくるようです。
もしかしたら、どこでもよかったのかもしれません。
まだ死ぬことを迷っていたともとれる部分です。
しかし、日が暮れネオンの文字を見た時に二人は死に場所を決めました。
ここしかないと思ったことでしょう。
2番の歌詞
ホテル内部の解釈
チェックインなら寝顔を見せるだけ
部屋のドアは金属のメタルで
シャレタテレビのプラグはぬいてあり
二人きりでも気持ちは交い合う
ベッドの中で魚になったあと
川に浮かんだプールでひと泳ぎ
どうせ二人は途中でやめるから
夜の長さを何度も味わえる
出典: リバーサイドホテル/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
全体を通して、あまり人気の感じられないホテル内。
テレビのプラグを抜く=見ることができない=必要がない、ということにもなります。
そもそも電気がないという見方もでき、ここは人間が生きている世界ではないと解釈することも可能です。
「夜の長さを何度も味わえる」というのは、夜の時間が長いのではなく、死後の世界ゆえにここからはずっと夜が続いているのだとしたら…?
そして「何度も味わえる」ということは、その夜(死後の)の世界に永遠にいなければならないのではないでしょうか。
ひとつめの解釈は二人が付いたホテルは既に死者の世界のもの、という解釈です。
本曲のモデルとなった「ホテルカリフォルニア」に登場するホテルは、死者の集まるホテルでした。
となれば、ここで登場するホテルも同じように死者の国のホテルである可能性が高いです。
三途の川を渡る手前にあるのではないでしょうか。
ここから二人は三途の川を渡り死者の国へ旅立つのでしょう。