野田はこういう他者の反応に対して、それは喜びの対価だと考えています。 おたまじゃくしの意味はなんでしょうか? 音符をおたまじゃくしとたとえることがあります。 万歳のおたまじゃくしというところに音楽への深い思いがあらわれていると思います。

片割れのもとへ無事届けるまで

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

片割れとは、愛する人や心通じ合う人だと思います。 そういう人に思いを届けるために、ためらうことはないと思います。

億万笑者(おくまんしょうじゃ)と現代社会

この際だもう 目指そうか せっかくだから
効率優先至上主義の 現代の億万笑者でも ねぇ

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

学校ではより偏差値の高い学校へ、社会ではよりお金持ちになることが求められてきました。 その結果、どんどん効率的になり、社会は発展してきました。そう現代をとらえることができると思います。 そういった価値観の上に億万長者、つまり金持ちを目指すという価値観が共有されてきました。 しかし、野田は億万長者ではなく、億万笑者(おくまんしょうじゃ)を目指そうと歌っています。 この言葉のもじりは遊びではなく真剣なものだと筆者は考えます。

「億万笑者」/RADWIMPS 曲名の読み方と隠された秘密とは…!?歌詞の意味教えます!の画像

僕が僕を諦めたら もう痛みなどないんだ
それだけでこれら全てが たまらなく愛しいんだ

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

自分が自分自身であること。それを手放してしまえば、痛みがなくなるのでしょうか? そんなことはありません。 自分自身とは何か? これを手にすることが本当の意味でしあわせをつかむことだと思います。 自分が自分になることを求めている。 そういうことを知った時、全てが愛おしいと感じられるのでしょう。

僕はね知ってるんだ これらすべて
喜びの対価だと 本日の為替相場はどう?

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

他者は自分が生きることを邪魔することもあるでしょう。 でもそういうことを喜びの対価として引き受けている野田洋次郎の姿があります。 そして経済至上主義の人たちに対して本日の為替相場はどう?と皮肉っているのです。

ねぇどうしたの? そんなにいっぱい抱え込んでさ
とんだ文明の退化だと どんだけあざ笑われようと

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

そういった野田の考えが経済優先の人々からすれば、 文明の退化にみえるのでしょう。 だから笑われる。 そう野田は考えています。 つまり億万笑者というタイトルは、日本中に笑われてもという野田の覚悟なのかもしれません。

僕なら 大丈夫さ もうビクともしないから
だってもうじき会えるんだ 片割れが待ってんだ
手に入れるんだあなたとは もっと違う笑い方を

出典: http://lyrics.wikia.com/wiki/Radwimps:億万笑者

そしてもうそういう他者の嘲りなどに負けない自分自身を手にしているのでしょう。 そして同じ価値観を共有する愛する人や仲間(片割れ)と 本当の笑みを浮かべたい。 そういう野田洋次郎の本心が垣間見える歌詞です。

希望と絶望

野田洋次郎は現代とは異なる世界をイメージしていると考えられます。 あるいは多くの人が、もっと素晴らしい社会をイメージしているのでしょう。 経済優先の社会の中で、人々が分断され、心や身体を売り渡してきたと思います。 他人を罵り、人を裏切る。そういうことがお金のためなら許される社会になっていってしまった部分はあると思います。 でもそういうあり方とは違う、自分にとって正しいことを知っていても、深い絶望に落とされる時があります。 しかし野田はそれはもうひとつの側、意味の反対側に希望があると教えてくれているのでしょう。 もし現代がディストピアに向かっているとしたら、その反対側には理想社会があるのです。

最後に

経済的発展だけを目指してきた時代は終わったと筆者は考えています。そしてだからこそ別の正解を探さなければなりません。 しかし現代はその正解を探そうとするだけでも多くの人から笑われてしまうような世界なのかもしれません。 だからこそ、この歌に勇気づけられ、いつか同じ夢を持つ仲間と出会える希望が響くのだと思います。 RADWIMPS歌詞は意味が深く、音楽性も広いのですが、歌詞の構造にさえ秘密が隠されているのかもしれませんね。