コブクロの『轍-わだち-』は単純な応援ソングではない
「負」の歌詞を「正」が補う形になっている
ですから私が解説するのは、とてもおこがましいことですね。
でも歌詞の解釈は人それぞれ違います。
こういう解釈もあるんだ、という参考になれば幸いです。
『轍-わだち-』は単純な応援ソングと思われがちです。
1)メロディーが明るく前向きに勇気づけるものであること。
2)歌詞もじっくり聴くと未来へ向かって希望を持たせること。
それらに起因することなのかもしれません。
しかしながら単純な応援ソングであるわけではありません。
よくよく聴くと「負」の部分を補う構造になっているのです。
そのような「単純な」歌ではないのです。
その辺りを探っていきたいと思います。
いきなり冒頭から。
そんなに遠い目をして 君は何を見ているの
一秒ずつの未来が 今も通りすぎているのに
眠れないほど悩んで 見えた答えがあるなら
君さえ知らない君を 見つける旅に出かけようよ
出典: 轍-わだち-/作詞:小渕健太郎 作曲:小渕健太郎
「そんなに遠い目をして」と始まります。
何やら生きているのか、はたまた死んだような目をしているのか、わからないんですね。
それが2回も出てくるのです。
更に「眠れないほど悩んで」とあります。
ここだけ見ると、このフレーズもマイナスなイメージに聴こえます。
それでもコブクロの『轍-わだち-』はストレートなメッセージソング
分かりやすい歌詞
ご存知の通り、「轍」は「車の通った車輪の跡」です。
なぜ「車輪の跡」が人々を勇気づける楽曲のテーマになるのでしょう。
その謎は、聴けばすぐに納得できます。
曲名だけからは類推できません。
ところが楽曲を1回でも聴けばすぐに得心できます。
非常に分かりやすい歌詞です。
敢えて歌詞を解説しなくても、ストレートな前向きのメッセージが伝わってきます。
しかし表面上だけでなく、もっと深いメッセージを紐解いていければと思います。
コブクロが好んで使うフレーズ
この曲にはコブクロが好んで使う言葉があります。
どれも今の時系列の先のことを唄うフレーズです。
後に詳述しますが「未来」「明日」「歌」などです。
「歌」は少し違いますかね。
それに引き換え「轍」という言葉は1回しか出てきません。
意外ですね。なぜでしょう。
ここぞとばかり一番重要なとっておきの場所で「轍」という言葉をを使いたかったのではないでしょうか。
一点豪華主義といっても過言ではありません。
そしてここが、コブクロにとってはメインディッシュなのでしょう。
切り札といってもよいかもしれません。
次の見出しで少し掘り下げてみようと思います。
なぜ轍なのか
轍の意味するもの
轍さえもない道をただ進め
出典: 轍-わだち-/作詞:小渕健太郎 作曲:小渕健太郎
第一段落が終わってすぐに次のフレーズが唄われています。
「轍さえもない道をただ進め」、ストレートですね。
誰もが理解しやすい、轍さえもない道。茨の道。
「轍さえもない道」は誰かが通った跡のない道のことをいっているのでしょう。
自分で道を切り開いて進んで行け、という応援・鼓舞・激励であります。
そこが、この歌の真骨頂。
だからこそたった1度しか出てこないのでしょう。
切り札となる言葉は1度だけしか使われないから「切り札」なのです。
このようなフレーズは様々な歌手に唄われ歌詞に出てきます。
例えば古い曲ですが、ブルーハーツの『1000のバイオリン』。
「道なき道をぶっとばす」というフレーズが入っていますね。
他にサザンオールスターズの楽曲『希望の轍』には曲名にも出てきます。
その他にも様々な楽曲に出てきますね。
それだけこのフレーズには「力(ちから)」があるのです。