「ペイパーバック・ライター」全訳
小説家志望の男の物語
1966年6月発表、ビートルズの通算12作目のオリジナル・シングル「ペイパーバック・ライター」。
アルバム「リボルバー」と同時期のレコーディングで多重録音が彼らの常識になっていた頃の作品です。
クレジットこそいつもの通り「Lennon=McCartney」ですが作詞作曲はポール・マッカートニー。
ジョン・レノンは「ポールの作品だけれども『デイ・トリッパー』との息子だね」と発言します。
多重録音で制作したためにライブでは演奏しづらかったようです。
事実、こうした制作現場との乖離からビートルズはライブ演奏をやめてしまいます。
歌詞は小説家志望の男が出版社に送った手紙という設定です。
「ペイパーバック」はハードカバーの本に較べて手軽に読める書物。
内容から察して「大衆文学」と訳出しました。
全編、和訳して解説いたします。
それでは実際の歌詞を見ていきましょう。
手紙文体で綴られた歌詞
作家志望だったポールの夢
(Paperback writer)
Dear sir or madam will you read my book?
It took me years to write, Will you take a look?
出典: PAPERBACK WRITER/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
歌い出しです。
手紙文体であることが分かっていただけるはず。
「(大衆文学の作家)
拝啓、親愛なる皆様へ 私が書いた小説を読んでいただけないですか
執筆に何年も掛けました 読んではいただけないでしょうか」
出版社に自作の小説とともに送った手紙です。
実際、ポール・マッカートニーは作家志望であった時期があるといいます。
作家になるよりも音楽家として大成したのですから不満はないのでしょうが忘れられない夢なのでしょう。
出版社にはこうした売り込みが日々きます。
実際にこのように生原稿を送る売り込みで成功した方も昔はいたのでしょう。
ただし、今は一度自費出版してから売り込むスタイルが多いようです。
もしくは王道の各文芸誌の新人賞に応募するなどが普通の道のはず。
文芸誌の編集者は本当に気合が入った人が多くてきちんと送られた作品は読むそうです。
よく最初の一行を読んでいいか悪いか決めて後は読まないという都市伝説があります。
これは一部の編集者に限られたことだと聞きました。
普通の編集者は最初から最後まできちんと読むそうです。
作家志望の皆さんは希望を持ってください。
ハードカバーではなくペイパーバック
純文学より大衆文学
It's based on a novel by a man named lear
And I need a job so I want to be a paperback writer,
Paperback writer,
出典: PAPERBACK WRITER/作詞:Lennon=McCartney 作曲:Lennon=McCartney
歌詞を和訳してみました。
「リアという名の男による小説に基づいています
仕事が必要なんです そう私は大衆文学の作家になりたいのです
大衆文学の作家に」
「ペイパーバック・ライター」はそのまま残して訳出しても意味が通じそう。
それでも意訳して「大衆文学の作家」としました。
欧米では高尚な純文学ですと最初はハードカバー、もしくは大判本での出版になるようです。
こうした作品は一定の期間が過ぎた後にペイパーバックになります。
一方で大衆文学、エンターテインメントは最初からペイパーバックでの出版になることが多いよう。
現代の日本では大衆文学、エンターテイメントであっても売れる作家は最初にハードカバーで出版。
一定の期間が過ぎた後に文庫本になります。
似ているようで若干違う出版界の事情があるようです。
ポールも大衆文学志望?
大衆文学と純文学の違いを説明するのは至難です。
エンターテイメントに重きを置くか文学性に重きを置くかの違いだけでは線引きできません。
どちらの領域もクロスオーバーする作家はたくさんいます。
たとえばフィリップ・K・ディックのようなSF作家はエンターテイメントの陣営です。
しかしディック作品は純文学よりも重い題材を扱うことがあります。
また、ディック作品などに触発されて純文学のSF化が囁かれるようになりました。
ただし単純な線引きはできないものの最初からペイパーバックで出版したいと男は願います。
ハードカバーでの出版は念頭にないのです。
自身の作品を労働者階級の人々に手にして欲しいという想いでしょうか。
またポール・マッカートニーが作家志望であったとして、彼も大衆文学の作家を目指していたのか。
様々な読み込み方ができる歌詞になっています。