小さな頃の願い、記憶、そして思い出が、ひとつずつ書き記されているような歌詞です。
何だか、とてもとても大きなものに繋がっていくようです。
「放課後」という言葉からも、子どもの時の回想のような情景が浮かんできます。
ここで登場する「あなた」とは、先ほどの父親なのではないでしょうか。
「隣にいたら」心強い存在なのですね。
君のいない 世界にも 何かの意味はきっとあって
でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう
君のいない 世界など 笑うことない サンタのよう
君のいない 世界など
出典: なんでもないや/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
さらに繰り返し部分が続きます。
「君」とは出逢うべくして出逢った、そんな運命のような存在なのでしょうか。
「君のいない世界」の表現が秀逸な一節です。
世界に君がいなかったとしても、世界そのものが揺らぐことはきっとないのでしょう。
それは季節が自動的に回っていくことに似ています。
けれど。
8月という季節を聞いてわくわくするのは、そこに夏休みという幸せな時間があるからです。
クリスマスに見かけるサンタに楽しくなるのは、ニコニコと楽しそうに笑ってくれるから。
その季節、その存在を輝かせる魅力。
それが8月の夏休みであり、サンタの笑顔です。
「君」は僕にとってそんな存在です。
ただの季節、ただの人を魅力的できらきらしたかけがえのない存在にしてくれる。
「君」の存在は僕にとっての光、世界を輝かせてくれるただひとつの存在なのです。
僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー
時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ
なんでもないや やっぱりなんでもないや
今から行くよ
出典: なんでもないや/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
こちらも繰り返しの部分ですが、最後の「今から行くよ」という一文が印象的です。
タイトルにもなっている「なんでもないや」という言葉ですが、何か一つのことを考えていながらも、あえて自分で打ち消すような意味合いですよね。
自分の主張を弱めたいのかもしれません。
それとも、何か伝えたいことがあって、でも伝えるのを止めたのかもしれません。
探しに「行く」のか、迎えに「行く」のか、はたまた会いに「行く」のか・・・。
僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー
時のかくれんぼ はぐれっこ はもういいよ
君は派手なクライヤー その涙 止めてみたいな
だけど 君は拒んだ 零れるままの涙を見てわかった
嬉しくて泣くのは 悲しくて 笑うのは
僕の心が 僕を追い越したんだよ
出典: なんでもないや/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
過ぎていく「時」に置いて行かれるのは、もう沢山のようです。
「もういいよ」という簡単な言葉の裏に、もうそんなふうにはなりたくない、というような思いも見えてきますよね。
今度は「僕の心が 僕を」追い越しました。自分の思い描く自分の姿も手に入れたのかもしれません。
「edit」と「ver」の違いとは?
同じ曲?気になる2バージョン
冒頭でも紹介しましたが、「なんでもないや」は2つのバージョンが存在しています。
「君の名は。」のサウンドトラックアルバムには両方のバージョンが収録されているので、是非聞き比べてみてくださいね。
特に映画のクライマックスを思い出しながら聴く「なんでもないや」は涙なしには聴けません。
どちらがどのように使用された一曲か、改めてまとめておきます。
「edit」は挿入歌として編集されたもの
「movie edit.」は、劇中の挿入歌として編曲されたバージョンです。
「君の名は。」のラストシーンに流され、瀧と三葉の物語の結末を彩った一曲。
歌詞もシーンに合うように調整されています。
結末のシーンの瀧の想いをそのまま描き出したような歌詞は、聴くと映画を思い出して涙を誘います。
感動の結末に流れる優しい歌声とメロディ。
まるで瀧と三葉の心情を歌として描き出したような美しい音楽が、映画の中の美しい場面の感動をさらに引き立てます。
「ver」はエンディングテーマとして作られたもの
そして「movie ver.」は映画のエンディングテーマとして使われたバージョンです。
こちらの方が歌詞も曲自体も長く、単独の曲として聴くなら聴き応えがあるでしょう。
movie edit.は劇中の挿入歌としてラストシーンを印象的に盛り上げるための編曲を施されています。
一方、movie ver.は映画の感動を振り返りながらじんわりと感動できる名曲として仕上げられています。
映画ではmovie edit.のシーンからすぐにmovie ver.のイントロにつながり、ひとつの曲のような完成度となっています。
何度聞いても映画の感動が蘇り、瀧と三葉の物語に思いを馳せる一曲です。
改めて歌詞を読み返してみると、映画の中のキーワードとなる言葉がいくつも散りばめられていることにも気付きます。
また、映画のラストシーンをそのまま歌詞に描き出したかのようなサビも涙を誘います。
そして愛する人への深い想いや家族への感謝が描かれていることにも気付く歌詞。
結婚式などの場面にも似合いそうです。
映画に照らし合わせてみれば、瀧と三葉のその後を思わせるように感じられる一曲。
思い返せば瀧も三葉も母親は登場していません。
瀧の家族として登場するのは父のみ。
三葉もまた母を早くに亡くしており、父と祖母、妹と暮らしています。
「なんでもないや」に登場する親族が「父」なのは、映画の内容に合わせているのかもしれません。
映画の感動を伝える名曲
チャートでの健闘も印象的
「なんでもないや」は「君の名は。」の宣伝などには使用されていません。
「前前前世」や「スパークル」は映画CMなどでも使用され、音楽番組などでも披露されています。
そのため公開前からも注目されていました。
しかし「なんでもないや」はあくまでエンディングテーマであり、映画を見た人でなければ聴く機会がなかったのです。
それにもかかわらず「なんでもないや」は、「君の名は。」公開後にダウンロードチャートの上位にランクイン。
「前前前世」「スパークル」と並ぶほどの人気となりました。
映画を見た人の心にそれだけ深く刻まれた一曲。
是非、映画と合わせてどちらも楽しんでください。