今作も映画と同じく当時の夫・紀里谷和明が監督を務めています。

全編モノクロで撮影されたミュージックビデオには、宇多田ヒカルの他、映画『CASSHERN』の登場人物を演じた人々が登場します。

人形のような表情の彼らは、モノクロであることも手伝って、どこか悲しみや苦しみを隠しているよう。

映画もまた、人間の暗部を描く作品であるゆえに、楽曲もまたそんな世界観とリンクしているようです。

歌詞

それでは、歌詞を見ていきましょう。

冷たい指輪

小さなことで大事なものを失った 冷たい指輪が私に光ってみせた
「今さえあればいい」と言ったけど そうじゃなかった 
あなたへ続くドアが音も無く消えた

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

一文目、まるで自身の離婚を暗示するような内容にゾクッとしますが、この楽曲を製作している頃はまだまだラブラブのはず。

次のワード「今さえあればいい」で、どうやらこの歌詞の恋物語は「道ならざる恋」、不倫であることが伺えます。不倫ソングと仮定して見ていきましょう。

冷たい指輪は、自分の指にはまっているものでしょうか?それとも彼の指に?

いずれにせよ、相手か自分のどちらかにはすでに決まった別の相手がおり、未来のない恋なのでしょう。

そして言葉通り、ドアは音もなく消えるのです。

音もなく消えるという歌詞、例えば着信拒否やSNSのブロック機能のような、現代の「音のないお別れ」を示しているようにも読めました。

あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ 
それでもあなたを引き止めたい いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ そのまま扉の音は鳴らない

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

一方を立てれば、もう一方は立たず。

このような状況は恋愛に限らずよくあります。

彼の幸せを本当に願うならば、自分の存在や恋心さえも邪魔なはず。

それでも引き留めたいと願う心を止められない。

そうやって自分が彼と幸せであることを願うとき、彼のもうひとりの相手は、もう片方の指輪の持ち主は、泣いているのです。

扉の音は鳴らない、やはり携帯電話の着信音のように読めてしまいます。

この楽曲が発表された2004年当時は、折り畳み式の携帯電話が主流でしたしね。

宇多田ヒカル自身のこと

みんなに必要とされる君を癒せるたった一人に なりたくて少し我慢し過ぎたな

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

彼を好きになる前、この歌の主人公は良い人間でした。

もしくは、良い人間であろうと努力と我慢を重ねてきました。

欲しいものは我慢して、両親にも、聞き分けの良い子であると思われるよう努めてきました。

あるいはこの歌詞は、母・藤圭子の愛に苦しんだ宇多田ヒカル自身の言葉のようにも聞こえます。

自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ
それならあなたを抱き寄せたい できるだけぎゅっと
私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ このまま僕らの地面は乾かない

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

自分の幸せを願うことは、本来間違ってはいないことです。

しかし不幸なことに、彼女が初めて自分の幸せを願った時、大好きな相手と結ばれたいと願ったとき、その相手にはもうすでに大切にしなければならない存在が在ったのでしょう。

今までたくさん我慢をしてきて、涙も流してきて、彼に会えてようやくその涙が乾いたころ、「あの子」は彼を失って泣いているのです。

自分の幸せばかり願っていると、永久に、誰かの涙は流れ続けるのです。

幸せの裏にある不幸について

あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ 
あなたは私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

わたしはあなたを愛することを躊躇わないのに、あなたは躊躇っている。

そんな温度差を、切なく叱責します。

この歌詞の「あの子」とは、誰の幸せの裏にも存在する、裏側で泣いているすべての人々のことでしょう。

小さな地球が回るほど 優しさが身に付くよ
もうー度あなたを抱き締めたい できるだけそっと

出典: http://j-lyric.net/artist/a001c7c/l0025f4.html

自分の幸せの裏には誰かの不幸があると人々が知ったとき、傲慢さを恥じたとき、世界は少しだけ優しくなるのかもしれません。

この歌は、幸せを求めすぎて周りが見えなくなる人々を、優しく罰しているのかもしれません。

終わりに