誰も批判しなくたって発散できる言葉とは
会っても癒えない世界で
匿名の自分になって
誰を批判しなくたって
発散できる言葉探してる
Hip hopけって
濃いめの愛闇(アイシャドウ)拭って
誰を批判しなくたって
発散できるファッション探してる
出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね
会っても言えない世界とは下の匿名の自分ということから読み取ることが出来ます。
おそらく匿名の掲示板やSNSなどのインターネット世界のことでしょう。
匿名掲示板などで他人を攻撃することでストレスを発散する。
そんな悲しい現代の状況を直接批判するのではなく、新しい表現を模索している様子を表しています。
下の歌詞も同様です。
けるとは足蹴にする意味だけではなく、拒絶や否定する際にも使う言葉です。
HipHopを否定し、折角濃く仕上げた化粧を落とす。
これは生き方や見た目を批判する風潮をやはり象徴しているのでしょう。
ちなみにファッションとはおしゃれのことを指しますがここでは文化やスタイルなどの意味ととらえられます。
人と自分の世界の見え方の違い
どんな名言も響かない僕から
何も生まれはしないけど
目に見える世界が全てじゃないって
わかりたかっただけ
出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね
名言は過去の偉人が経験などから生み出した強く共感ができる優れた言葉です。
しかし“僕には”どんな名言も響かない。
何にも共感が出来ない心持ちなのでしょう。
自分が共感できないということは、相手にも共感してもらえない。
そんな状況を“何も生まれはしない”と表現をしています。
しかしそのような現状を嘆いている訳ではありません。
目に見える世界が全てではない、常識では測れないものもあるということ。
全部ではないけど1部ではある。
要素ではあるけど囚われすぎることへの不安感を感じることができます。
身勝手さは自分らしさか
どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった戦績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい
どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった成績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい
出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね
ここで2番目のサビに入ります。
リズミカルなメロディとは裏腹にMVでは卒業アルバムをめくるなどの少し寂し気な様子です。
しかしアルバムの中に写っている写真はほぼ同じような状態で無個性な集団が描かれています。
集団の中では自分らしさは発揮できません。
しかし自分らしさとは身勝手のことなのでしょうか。
“それでも良い”ということは、それがベストという訳ではありません。
受け入れが可能という状態の意味にも取れます。
どうでもいいと言いつつも同窓会のことは気にしている訳で全て切り捨ててはいないのです。
この異なる2つの価値観の存在こそが現代的な歌詞の中に隠れる本質部分なのでしょう。
ぼーっとして没頭する。
ぼーっとするは集中しておらず注意が散漫な状態のことです。
没頭するということは集中して他のことに注意が向かないことを指します。
ひと目見ると全く逆の意味にとれますが、自分の事以外に注意が向いていない部分は同じ。
つまりこちらも相反する価値観が背中合わせであることを示しているといえます。
誰でもない人間に心引き裂かれる
切り取りと集団攻撃
誰かを けなして自分は真っ当
前後を削った一言だけを
集団攻撃 小さな誤解が命取り
出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね
誰かをけなすことでまるで自分が正義の執行者であるような錯覚を起こす。
少し前に“正義中毒”という言葉がはやりましたが恐らくそのようなことを指しています。
意図していない部分を悪意で解釈し、まるで悪者を倒すかのような一斉攻撃です。
一旦攻撃が始まるとSNSだけではなく、ワイドショー的なバラエティーなどでさらにあおります。
そのような悪循環がはじまると最初の意図など誰も耳を傾けてくれなくなるのです。
しかし、それらの行為は正義なのでしょうか。
例え悪意のある言葉が含まれていたからといって集団で人を攻撃していい理由にはなりません。
ここではそうした風潮を比喩しているのでしょう。
想像と現実の区別
あんたは僕の何なんだ
そんなやつに心引き裂かれたんだ
想像は想像でしかないし
粘り強いけれど打たれ弱いし
心臓を競走する前に
どうでもいいから置いてった
そうでもないから飛んでった
出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね
ネットの世界では見たこともない人から誹謗中傷のメッセージが寄せられることがあります。
そうした人は決して真実ではなくても想像で怒りを増幅させるのでしょう。
根拠のない週刊誌の記事やテレビも同じです。
いわれのない批判をされると人はどうしても傷つき心を痛めていきます。
そうした心の痛みを“心臓を競争する”と表現しているのでしょう。
同窓会も同じで、たとえ小さなコミュニティだとしても同様のことが起きるのです。
人はどうしても集団になると気が大きくなってしまいます。
弱い人間の痛みに鈍感になってしまうのでしょう。
自分らしく生きていくためにはそうしたことから脱却する必要があります。
それを最後の“飛んでった”と表しているのではないでしょうか。