前世、現世、そして来世へ
僕も人間なんでですね、悩んだり、迷ったり、落ち込んだりすることがありますよ。
「なんでこんなイヤな目に会うんだろ!?」「なんでこんな事で悩まなきゃいけないの?」そしてついに「なんで生きて行かにゃいけないの!?こんなズタボロになってまで」なんて…。
いろいろ考えます。
そんな時はたまーに、スピリチュアルな本を読んだりして自分を見つめ直すのですが「きっと、多分そりゃ前世の因果なんだろ」で片づけてしまう。
謙虚に冷静に今生きている自分を省りみようとしません。
もし、死んでから生まれ変わって次の世界があるんだったら、今度はどうなっちゃうんだろ??
「揶揄」の歌詞って…
もしかして、これも「輪廻転生」がテーマ??
「なにこれ??意味がわかんなぁ~い」と思うアナタ、それも無理はありません、RADの曲の中でも特にイメージが細切れ過ぎ。
けれどこれも最近の『前前前世』と同様、底の部分にあるのは「輪廻転生(りんねてんせい:生まれ変わること)」がテーマなんじゃないかな?と思うのです。
現世-今生きている世界
実は月日なんて無味無臭
意味やスパイスを付け加える毎日です
あなた今歳はいくつ?
俺がいつ死ぬか知りたがる皆さんです
「ご飯でも食べにいきましょう」
そういって早速ホテルに導くんです
出典: 揶揄 作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
いきなり来ましたね、「味気もそっけもない人生」が。味が無いものには調味料をかけないと美味しくありません。人生もそう。
だけど人は「死」から逆算してその生き方を考えてしまう。何だかそれが当たり前になっちゃってるみたいです。
そんな日常だから、「メシでも食べにいこう」の一言でもカンタンに相手が釣れてしまうこともあるわけですね。
「でもゴムはつけなきゃだめよ」
自分の価値を無にするあなたです
出典: 揶揄 作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
しかし、相手は「ゴムをつける」ことを要求する。ここで主人公はふと思うのです、「生物は本来、子孫を残す事が本能なんだぁ!」
そう、太古の昔はそんな「ゴム」なんてなかったのです!
生まれる方が多かったら種は増え、少なかったら絶滅する。ダーウィンの説を持ち出すことまでも無く、それは自然の摂理。
そんな相手にちょっと怒りながら「人間としての価値が無い」とまで主人公は思うのでした。
はい、ここまでは現世の様子です。
前世ー遥か昔の日々
無実の罪を喜んで犯すの
今日も狩りにでかけるの 今晩のおかずを
この世界のことだったら大体分かったから連れてってよ
来世ってとこに僕を早く引っ張っていってよ
そんなけったいなことを言えるお前にはヒトに生まれるにはちょいと早すぎたよ
そりゃ子・牛・寅・未・申にもなるにゃあ100万年もかかると思いますよ
出典: 揶揄 作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
時間はだいぶ昔へさかのぼります。かと言ってタイムスリップした訳ではなくて、場面は主人公の1000代以上前の前世です。
「無実の罪を喜んで犯す」-キリストもソクラテスも無実の罪で罰せられて、喜んで死んで行きました。
「今日も狩りに…」-その頃の日本って、多分狩猟社会だったのです。主人公は生きるために狩りに出かけます。
でも何だかそんな生活に主人公は気だるさも感じている。DNAが来世の生活を本能的に(霊的に?)求めたのかもしれませんね。
でも残念ながら、カルマ(因果)はキレイになってはいない。生まれ変わって人間になるためには「魂の純粋化」が求められている、と言われています。
今のお前じゃ「干支(えと)の動物になることすら100万年かかるよ。」と主人公は自らをここで揶揄(やゆ)するわけです。