「エルマ」と僕の思い
2019年4月10日発表、ヨルシカにとって最初のフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」。
音楽を辞める青年の物語を基軸にしながらバラエティにあふれる楽曲を収めています。
様々なサウンドの楽曲を一斉に収めながらも歌詞の方はコンセプトアルバムとして一貫しているのです。
アルバム全体を貫く物語こそ理解しないとそれぞれの楽曲の歌詞も理解しづらいかもしれません。
このアルバムの要となる女性の登場人物に宛てた「エルマ」という楽曲をご紹介しましょう。
ヨルシカという変則的なロック・ユニットが送り出す音楽は変幻自在です。
そうした色とりどりの音楽の中でも「エルマ」は比較的に落ち着いて聴ける楽曲でしょう。
アコースティック・ギターのコードストロークや鍵盤楽器の響きが印象的です。
エルマというのはアルバム「だから僕は音楽を辞めた」の主人公が愛した女性の名前になります。
アルバムは主人公がエルマに宛てた手紙の文章という体裁を歌詞に採用しました。
楽曲「エルマ」では青年が愛する少女のために胸を痛める姿に共感を覚えるでしょう。
主人公とエルマ、このふたりの恋愛にはどこか悲恋の面影があるのです。
n-buna、あるいはヨルシカが描きたかったものはいったい何でしょうか。
19世紀の詩人、オスカー・ワイルドに多大な影響を受けて書かれた歌詞です。
この歌詞を紐解きながら様々な考察をしてゆきます。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
背景のストーリー
嘘つきなんて わかって 触れて
エルマ まだ まだ痛いよ
もうさよならだって歌って
暮れて夜が来るまで
出典: エルマ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
歌い出しの歌詞になります。
登場人物は語り手の青年である僕と愛するエルマという少女です。
ここで僕は恋するエルマに手紙を綴るように歌詞を贈ります。
歌詞の考察の前に簡単ですがアルバム全体のコンセプトやストーリーを把握していただきましょう。
あらすじの書き起こしは著作権の事情でWikipediaからの引用に委ねます。
コンポーザーのn-bunaが描く物語を軸に楽曲を書き下ろしたコンセプトアルバム。音楽を辞めることになった青年“エイミー”がスウェーデンを旅しながら”エルマ”へ向けて作った楽曲、全14曲を収録している。n-bunaが描く物語と楽曲と、suisの透明感ある歌声と表現力で作り上げられた、ヨルシカとしての新たな作品。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/だから僕は音楽を辞めた
僕の本名はエイミーであり悩みを抱えながらスウェーデンで旅をしているのがお分かりいただけるはず。
僕ことエイミーはスウェーデンの色々な街からエルマに向けて手紙を発送します。
大好きだった音楽を辞めようという決意に至るまでの心境が描かれたアルバムです。
僕の胸の痛みは音楽を辞めなくてはいけないのかなど千千に切れ切れになってゆく迷いに拠るものでしょう。
一方で僕からエルマへの募る思いも隠しきれません。
そして気になるのがエルマとの別れを示す言葉たちです。
僕の胸のうちにはエルマという存在がしっかりとまだいます。
しかしエルマとはもうお別れだという事実が僕の心を痛ませるのです。
失恋の痛みというものは誰しもが共有できるものでしょう。
特に若いうちに恋愛を長く持たせることは難しいことでもあります。
歌い出しに滲むのはエルマを失うことが僕にとってどれだけ大きな出来事であったのかということ。
この先ではエルマと幸せに過ごしていた日々の回想を挟みます。
椅子というモチーフ
回想の中では幸せなのに
朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ
まだ まだ眠いかい
初夏の初め近づく五月の森
出典: エルマ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
春と夏の橋渡しになる幸福な季節に僕とエルマは木立の中で寝そべっていました。
ふたりの親密さを表すエピソードとしてとても微笑ましい箇所です。
現実では僕とエルマにはいま距離があるという設定になっています。
ここは僕による過去の日々の回想だということがお分かりいただけるはずです。
気候も穏やかな時期ですので愛するふたりの気分のよさが伝わってきます。
いまは遠い日の情景ですが僕にとっては忘れられない記憶なのでしょう。
私たちは別れを経ても相手のことをどうしようもなく思い出してしまう瞬間があります。
特に楽しく過ごせていた幸福な記憶というものはいつまでも覚えていないといけないものです。
僕も回想の中でエルマの姿を再生します。
エルマのあどけない可愛さが伝わってくる箇所です。
別れたとはいえ僕のエルマへの思いというものは変わっていないのでしょう。
旅先でも目の前の風景よりも思い出の方が甦ってしまうのですから相当に深い愛情を感じます。
強がって生きる僕だけれど
歩きだした顔には花の雫
ほら 涙みたいだ
このまま欠伸をしよう
なんならまた椅子にでも座ろう
出典: エルマ/作詞:n-buna 作曲:n-buna
僕は旅を続ける先で花の露を浴びます。
この表現はおそらくエルマを失った悲しみに暮れて涙を流していることを詩的に昇華しています。
実際に泣き暮らして涙が流れるのですが、道行く人に泣いていることを悟られたくないと強がるのです。
涙は眠気によっても流れてくるものでしょう。
すれ違う人に自分が泣いていることで心配されることを不安がります。
最後の行に現れる椅子というモチーフは意味深いものです。
もう一度、エルマとゆっくり過ごせないかという思いを椅子というアイテムに託します。
ふたりで穏やかに寄り添って話ができるようなシチュエーションを望んでいるのです。
しかし一度破綻してしまった恋愛を取り戻すことはできません。
僕の心のうちにはエルマと復縁したい思いがのぞけます。
しかしエルマの心境はどうであるかなどはブラックボックスの中です。
僕の叶わない恋というものにリスナーはどうしても同情を寄せずにはいられません。
ただエルマに成り代わることは誰にもできないのですから歯がゆい場面です。