amazarashi「名前」
2015年の8月に2ndシングル『スピードと摩擦』の1曲としてリリースされました。
「名前」MV
amazarashiがこの曲をリリースした頃「スピードと摩擦」という曲が、江戸川乱歩没後50年で作られたアニメとタイアップしていました。このMVは明治・大正あたりの雰囲気に引っ張られています。
江戸川乱歩が若き日々を過ごした明治時代、日本にはガス灯はありましたが、まだ電気の灯りはありませんでした。
その頃を再現するように、柔らかい炎の光で照らしています。その中で流れる柔和なピアノが幻想的です。
静かに滔々と流れる秋田ひろむの声はいつしか激しさを増し、僕らの感情を揺さぶります。そこで語られる「名前」への疑問。今回はこれを解釈していきます。
またこのMVはうまく繋がっているのでわからないと思いますが、中盤がカットされています。もしよければFULLも聴いてみてください。
「スピードと摩擦」のMVは…
ちなみに「スピードと摩擦」のMVはこんな感じ。江戸川乱歩の物語を、現代を舞台に語りなおすアニメだっただけに、「名前」のMVの方が明治感はありますね。
「名前」に疑問を呈する歌詞
名前は重要じゃない
君の名前はなんだっけ? ふと思い出せなくなって
言葉に詰まって噴き出した ヘラヘラ笑ってごめんな
人は一人で生きてけない それは確かに間違いじゃない
必ずどっかに属していて 家族 学校 社会とか
出典: 名前/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
冒頭でいきなり相手の名前を忘れてしまう秋田ひろむ。でも名前って自分自身と1:1の存在なのでしょうか。単に自分を示す記号に過ぎませんよね。社会で生きていくうえで、名乗らなきゃいけないだけで…。
その属する場所が名前を与えてくるんですよね。例えば家族が「田中一郎」という名前を与えてくる。これは「田中一郎」と呼ばれる誰かを示す記号であり、「田中家」の一員であるという所属を示す記号です。
それを秋田が思わず忘れてしまうことで、相手は(つまり僕らは)本当の意味で自分と向き合うことになります。
たくさんの名前が与えられる
君の名札に書いてある もしくは名刺に書いてある
もしくはカルテにかいてある ひそひそ影で呼ばれてる
肩書き 陰口 あだ名とか 全くもって僕は嫌い
ひとまず話しをしようか それで全部分かるさ
出典: 名前/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
社会は僕らに、いやおうなしに様々な名前を与えてきます。僕らの一要素だけを抜き取って、さも僕ら自身であるかのように、記号化してくるのです。
例えば名刺に書いてあるのは肩書きですよね。「○○社営業1課課長」というのはその人の役職を示す記号にすぎません。なのに人は彼を課長と呼び、その関係を逸脱しないように生きていくのです。
苦しんできた秋田ひろむ
嘘つき 理想家 夢想家 鬱病 右か左か
僕らただ生きてるだけで 名前だけ入れ替えられて
社会性不安障害 ギターロック JPOP フォーク
何だっていいだろ 僕の話しをまずは聞いてくれよ
出典: 名前/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
これは恐らく、今まで秋田ひろむが言われてきた言葉です。こうやって一般化すればするほど、その人の個性や本当に言いたいことって見えなくなっていきますよね。
ギターロックでもフォークでもフォークでもいいからさ、それよりちゃんと聴いてくれよ。そう彼は叫んでいるのです。そうやってジャンル名を与えることで、その枠組みの中でしか語れなくなりますよね。
例えば僕はこの記事の初めに「現代の詩人・秋田ひろむが疑問を呈する話題作。」と書きました。
この「現代の詩人」という言葉は秋田ひろむを示す記号として機能し、彼の言葉を聴く前から偏見を生んでいます。まるで詩的な表現をしなければいけないような、そんな偏見を。
また「話題作」も注目を集めるのに便利な言葉ですが、陳腐な作品のようにも感じられ、一部の人々はこれが書かれているだけで聴かなくなるかもしれません
名前って便利だけど、数々の誤解を生み、可能性を狭めていると思いませんか?