主人公の回想の曲
ヨルシカの世界
2019年4月10日に発表された1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」。
このアルバムの8曲目に収録されている「五月は花緑青の窓辺から」という曲はよく聴きますか?
この曲、なんとなく聴いてもらってももちろんとても素敵な曲です。
しかし、この曲の歌詞の意味を知っていただくとさらに魅了されるはず!
本記事を読んでくださったあなたは、ヨルシカの世界に引き込まれること間違いなしです。
独特なヨルシカの音楽の世界にようこそ!
あの物語と関係が?!
実は、ヨルシカのアルバム「だから僕は音楽を辞めた」は1つの物語になっているのです。
この物語の登場人物は2人。
「エルマ」という女性と「エイミー」という青年です。
詩を書き、音楽を創りながら異国を旅していた青年、エイミー。
のちに、エイミーが創った音楽に感化される女性、エルマ。
このアルバムに収録された曲のほとんどが、エイミーからのエルマに向けた曲となっています。
エイミーはエルマを失ってしまいます。
エルマを失ったエイミーを描いた曲が多い中で今回は、回想の曲となりました。
「五月は花緑青の窓辺から」では、エルマとエイミーの青春時代を描いているようです。
一体、2人はどのような青春時代を過ごしてきたのでしょうか?
この設定を頭の片隅に置いて、本記事を読み進めてみてくださいね。
揺れるカーテン
夏は終わるのか
夏が終わることもこの胸は
気のせいだって思っていた
空いた教室 風揺れるカーテン
君と空を見上げたあの夏が
いつまでだって頭上にいた
出典: 五月は花緑青の窓辺から/作詞:n-buna 作曲:n-buna
エイミーは学生時代、エルマとよく教室で空を見ていたのでしょう。
そのときがあまりにも幸せで、この幸せはきっとずっと続くのだろう。
そう思っていたのです。
エイミーにとって、エルマと過ごすこの夏は終わるはずのない時間なのでしょう。
続くのだろうというよりは、続いてほしいという願望だったのかもしれません。
誰もいない教室に2人きりとは、まさに青春という感じがします。
しかし、そんな青春もずっと続くなんてことはあるはずがないのです。
花緑青
さようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ったらもう消えんだよ
馬鹿みたいだよな
思い出せ!
出典: 五月は花緑青の窓辺から/作詞:n-buna 作曲:n-buna
エルマとエイミーはこのアルバムでは死別しているようなのです。
だから、エイミーはエルマのことを忘れないように思い出にすがりついているのでしょう。
青空を見れば、エルマとの思い出が蘇ってくるようなのです。
忘れなければいけないとわかっていても、忘れたくない。
だから、エイミーはエルマを空に描くのです。
エルマとの思い出を振り返っていると、思わず涙が溢れるほど。
ヨルシカは、この涙の色を「花緑青」と例えました。
ここで、この曲のキーワード「花緑青」が出てきましたね。
ではこの「花緑青」とは一体どのようなものなのでしょうか?
「花緑青」とは、19世紀パリで使われていた有毒な顔料です。
エメラルドグリーンとも呼ばれています。
なんと、有毒顔料のことだったのです。
つまり、エルマのことを思い続けるのはエイミーにとって有毒ということ。
もう会えないエルマのことをずっと思っているのはとても辛いことなのです。
思い出せない?
思い出せない、と頭が叫んだ
ならばこの痛みが魂だ
それでも それでも聞こえないというなら
出典: 五月は花緑青の窓辺から/作詞:n-buna 作曲:n-buna
エイミーはどれだけ思っていても、やはり時間には勝てず忘れてしまうのです。
忘れたくはなくても、自然に忘れてしまう人間の仕組みには勝てません。
忘れてしまっても、胸のどこかにエルマがいるのでしょう。
胸がチクリとするのです。
エイミーの胸の中には、エルマが住んでいるのでしょうか?
絶対に忘れたくない、でも忘れないと辛いのです。
忘れれば、エルマが悲しんでしまいます。
ずっと覚えていて、思い出に縋り付いていてはエイミーが辛いのです。
どうすればいいのかわからない。
そんなエイミーの葛藤が窺えます。