ゴールデンボンバー【おさかな地獄】歌詞の意味を解説!なぜ魚に愛されたい?地獄のように不安な心情に迫るの画像

魚は僕らを待っていない
魚は食べられたがっていない
魚は僕らの為に生きてなどいないよ
(Jesus Not waiting)
魚は僕らを待っていない
魚はほぼ僕らを知らない
魚は何想い泳ぐだろう?
神しか知り得ない

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

この曲のテーマとなるのは「魚は僕らを待っていない」というフレーズです。

これは【おさかな天国】の「魚は僕らを待っている」という歌詞に対する返答になります。

魚がどれだけカラダに良くて美味しいか、を紹介しているのが【おさかな天国】です。

様々な種類の魚の名前を並べて、そして最後には「魚は僕らを待っている」と歌われます。

つまりは魚は食べられたがっている、と歌っているようなもの。

【おさかな天国】の歌詞には人間中心主義的なニュアンスが含まれています。

そもそも全国漁業協働組合のキャンペーンソングなのでそれは仕方のないことでしょう。

その人間中心主義な【おさかな天国】に異を唱えるのがこの【おさかな地獄】です。

人間目線で歌われた【おさかな天国】に対して【おさかな地獄】では魚目線に寄り添います。

魚は食べられるために生まれてきたわけじゃないんだから、もちろん僕らを待ってなんかいない。

そういう視点で魚への愛を歌っているのです。

古から歌われるサカナの歌

歌詞に覚えた違和感

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孤独な夜にキミが歌った
古からのあのサカナの歌
ふと紡がれた言葉が心を…揺らして
(Jesus Fish heaven)

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

スーパーの魚売り場や海鮮市場などで日常的に流れている【おさかな天国】に鬼龍院翔は違和感を覚えました。

人間中心主義すぎやしないか、と。

ここで歌われるのはそんなふと湧いた些細な違和感です。

それを「古(いにしえ)」 や「紡がれた」といったヴィジュアル系然としたワードを使って表現します。

鬼龍院翔のこの絶妙なセンスには流石としかいいようがありません。

魚は僕らを待っていない
魚は食べられたがっていない
魚は僕のことなんか好きになってくれない

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

どう足掻いても捕食する側とされる側の人間と魚。

どれだけ魚の目線に立ち、魚への愛を並べても魚が「僕」を好きになることはない、と嘆きます。

共鳴するところもある

百歩譲って「頭良くなる」
ここはまだわかる豊富な栄養素
素敵なとこ挙げたらキリ無くて…愛しい

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

かといって【おさかな天国】に共感する部分もあるようです。

魚がカラダや頭に良いこと、美味しいこと。

食べ物としての魚を愛してはいるようです。

ただ「魚が僕らを待っている」という人間本意な部分に引っかかったのでしょう。

言葉遊びも炸裂

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また釣れないその表情
掌から逃げるの
(Jesus Sky fish)
魚は僕らを待っていない
魚はエラくない奴嫌い
魚は僕のことなんかを愛しているはずがない

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

このパートでは言葉遊びが炸裂しています。

「そっけない」という意味で使われる「つれない」の漢字を「釣れない」に。

ただ「魚が釣れない」だけのことを「掌から逃げる」とまたそれらしい表現を使ったり。

さらに魚の「エラ」と「偉い」をかけ、自分はエラくないから魚に愛されないと自分を卑下します。

このネタ要素の強い歌詞がなんだかそれらしく聴こえるのは鬼龍院翔のセンスによるものでしょう。

もっと深く連れ去ってよ
胸が苦しくてもいい
もっと暗く冷えた広い自由な海の底へ
(Jesus Under the sea)

出典: おさかな地獄/作詞:鬼龍院翔 作曲:鬼龍院翔

このパートも非常にヴィジュアル系らしい歌詞になっています。

しかしダイビング中に思い付いた曲ということなので、実際に海への想いは込められているでしょう。

人の世界ではなく、魚の世界である海に潜り、そこで湧いた素直な感性が曲に散りばめられています。

止まらない魚への愛