明確には表記されていませんが、この曲の歌詞は男と女が登場する歌詞だと思います。
「ねぇごめんね。」と言ったのは女で、生きることに疲れているのでしょう。もしかすると、その言葉を残してどこかに消えてしまったのかもしれません。
枕元に残った言葉は、今でも「ゲロの味がする」とあります。これはさまざまな捉え方ができますよね。
おそらく、一緒に過ごしていた時にお酒を飲み過ぎて、ベッドで嘔吐したのだと思います。そのような思い出は、そこまでの成り行きを含めてなかなか忘れられないものです。
彼女と過ごした思い出や言葉は、不快なニオイが漂うけれど忘れることができないという意味でしょう。
誇りは捨てられなかった
ねぇごめんね。
私今日が最期の日
ゴミ箱には捨てられないまま
私は私を噛み殺せないまま
出典: 馬鹿なくせして/作詞:樋口侑希 作曲:樋口侑希
「最期の日」は、自分で命を断つという意味が思い浮かびます。
「ゴミ箱に捨てられない」のは、自分が自分であるという最低限の誇りかもしれません。
それを捨ててしまえば、苦しくても生きやすくなるでしょう。しかし、「私」は自分らしさを殺すことができなかったのです。
死にたくないから生きている
馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、ばかりしているお前は
何をやっても上手くいかないみたい。
ねぇ
死にたくないから生きているんだよ私は。
くたびれたぐらいが丁度いいや人生。
くたびれたぐらいが丁度いいや人生。
出典: 馬鹿なくせして/作詞:樋口侑希 作曲:樋口侑希
正直に生きようとしている人は、要領が悪くて不器用に見えることがあります。それは他の人から見ると「馬鹿」に見えることもあるでしょう。
そのような人は何をやっても煙たがられたり、邪魔者扱いをされたりすることが多いです。人は自分が理解できない人を恐れますよね。
この部分の歌詞は男の言葉なのでしょう。
それを対して、女は「死にたくないから生きている」と言います。彼女は生きることに希望を抱いているわけではないのです。
死ぬことが恐いから生きているということでしょうか。あるいは、死ぬということに逃げたくないけれど、生きることも嫌だという意味もあるのかもしれません。
生きることの根幹を揺さぶるような痛々しさを感じる歌詞ですよね。
それに対して男は前向きに輝く未来を信じているよりも、「俺たちにはくたびれたぐらいの人生がちょうど良い。」と言っているのではないでしょうか。
それでも、女はどこかに消えてしまうのですから、とても悲しいですよね。
馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿
馬鹿なくせして
「本当にごめんね。」
出典: 馬鹿なくせして/作詞:樋口侑希 作曲:樋口侑希
ここは、今までとは変わって男の言葉だと思います。消えてしまった君に対して散々「馬鹿」と言っていたのに、ここでは謝っています。
どれだけ他の人から観たら女が「馬鹿」だったとしても、本当は「馬鹿」だとは思っていなかったのでしょう。
不器用にしか愛せなかった自分も同じように「馬鹿」だと感じ、「本当にごめんね。」と口にしたのだと思います。
まとめ
今回は、WOMCADOLEの『馬鹿なくせして』について紹介しました。
この曲の歌詞やMVは痛々しさがありながらも、胸の奥に突き刺さるような魅力がありますよね。
本当につらい時には、やさしい言葉よりも共感できる苦しさによって痛みから解放される時もあるでしょう。
『馬鹿なくせして』のMVを何度も観てしまうというファンの方の気持ちもよくわかります。
この記事を読んで彼らに興味を持った方は、ぜひ公式サイトで最新情報もチェックしてみてくださいね。
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