PVではライブにやってきている少年が主人公です。 想像の中ではプールに楽しそうにダイブしています。 でもそれは空想で、風呂に頭からつかっているだけです。映像からは何が真実かわかりません。 恋人がいるようにも描写されていますが、それも空想なのかもしれません。 映像の最後ではライブでとなりにいる女性と手を繋ぐかにみえるところで終わります。愛という空想が音楽によって現実になっていく。そういうストーリーがみえます。

人生の夏

ひとり孤独でいる時、あるいは世の中への不満など、心を暗くさせる出来事はたくさんあります。あるいはもしこの曲を聴いている人が恋人がいたりするなら、それが幸せだと思いつつも、世の中に思うことがあるかもしれません。 でももし人生の夏がやってきたら、心を惑わせることを一切合切飲みこんで、愛という夏を感じよう。そういうメッセージが響きます。

しかし今、この歌を聴くと別のメッセージが聴こえてくるような気がします。 多くの人々が苦しみを耐え、家庭を守り、自分を殺して生きていた。そういう思いが『イッサイガッサイ』という曲にはあるのではないでしょうか? そしてそういう思いを音楽やライブの中で発散させてきたことを思います。 人々が本当に掴みたい夢、希望、そして未来というものに対して、沈黙をまもるべきなのでしょうか?

KICK THE CAN CREWの復活

KICK THE CAN CREW復活の曲『千%』

KICK THE KAN CREWの復活に喜んでいる人たちもたくさんいるでしょう。それぞれが歩んだ道が再び合流する時、何が起きるのでしょうか? それぞれが飲みこんできた言葉。心に思いえがいてきた夢。そういう夢が輝き出すのかもしれません。

頭はクールに大事なとこで茶化すなよ
さぁここだ かっこ悪かろうが
必死になれる事のかっこよさ
(君は気が付いた 俺は気が付いた)
そうだ そして地に足が着いた
軸がブレない 淀みない 歩き出し
まるで背中押すように 射す光

出典: http://jplyrics.net/hits/kick-1000/

さぁここだ かっこ悪かろうが 必死になれることのかっこよさ 胸に響く言葉です。筆者も必死に生きようと思いました。 今、ここだ。そういう思いが響きます。

【イッサイガッサイ/KREVA】夏にぴったりだけど歌詞が意味深!?PVに隠された本当の意味とは?の画像

2017年8月30日リリースの新アルバム。再会した彼らは何を歌っているのでしょうか?

最後に

『イッサイガッサイ』を飲みこんできた人々。 KREVA自身ものみこんできた思いがあるでしょう。そういう思いが新しく言葉になる。 KICK THE CAN CREWの解散までの3枚のアルバムは少年たちがいつかこの遊びが終わるということを知っていながら遊びの延長としての音楽がありました。しかし今、これから響くのは大人になった彼らの言葉です。 2017年に復活したKICK THE CAN KREWに注目したいです。

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