あなたの魅力はどこに
なれない なれない
あなたのものにはなれない
いらない いらない
そんなヤケクソなんて
ああ ジーザス こんな結末を
誰が予想しましたか
ああ 結局私がチョロいと
思われて完結、ああ
出典: 鯉/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
私はあなたの懐で甘えたいのですが、ときすでに遅く何ともなりません。
あなたのbabyになりたかったのにいまその勝負をすると遊ばれて終わります。
いわゆる都合のいい女としては愛されるかもしれない。
自分のプライドを捨ててそうした便利な女として生きる道もある。
しかしそんなものを愛とみなす人は少ないでしょう。
私だってそんな状況になるのは嫌なようです。
「鯉」という曲の不思議さは、私はこれほどの大騒ぎをするのですがあなたの魅力を語らないこと。
あなたが具体的にどのような人物であるかについての記述が少ないのです。
私はあなたのものになりたがっていますがリスナーはそこまでする価値がある男性なのか読めません。
私の七転八倒している苦境にだけ同情しています。
ただ、軽妙な曲調なので登場人物に思い入れがなくてもノレるのでしょう。
あいみょんの天才的な言葉遣いの楽しさに幻惑されてゆくのです。
本当にこれは失恋ソングなのだろうかという疑問さえ浮かぶ悲壮感のなさが魅力でしょう。
「泣く女」は登場しない
あなたのための都合のいい女としてなら愛される。
そんな状況を私は嫌悪しています。
そこには自分の愚かさを顧みる感情が覗けるのです。
すべての始まりはあなたが私の目を覗き込んで「魅力的」といったから。
この始まりが相思相愛の関係の始まりだと興奮してしまったのが私の落ち度です。
しかし恋というものは誰しもを錯覚に陥れるものかもしれません。
周囲からうかがうと意外と冷静にこの恋の危うさは気付けます。
しかし当事者の私は恋心を刺激されてまっとうな判断ができなくなっていたのでしょう。
相手にいい寄られたのにフラれるという顛末は想像できなかったようです。
あなたの方は私について軽く目配せしてささやくだけで落ちる女性と考えているのでしょう。
いずれにせよリスナーはこういう男性とうまくいくことが私の理想なのかと不審に思ってしまいます。
駄目な男に付き合わされずに済んだという解釈だってあり得るでしょう。
私の嘆きがスカに乗って軽く「ああ」だけで済んでいる訳を知る思いです。
失恋ソング固有の女性の涙までは登場しません。
こんなあなたのために私が涙を流す展開にしてしまったならばあいみょんはバッシングされたかも。
そう思うとあいみょんの優れたバランス感覚に驚嘆します。
いつまでも受動的
最低なフライデーすり抜けて
なんとか過ごしてる
ああ 言いたいこと聞きたい事を
抱えながら待っちゃってます
出典: 鯉/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
私はまだあなたをどこかで待っています。
先ほどは新しい王子様を探すシンデレラであったのですが、過去の恋への執着は消えないよう。
胸に去来する思いは様々あるようです。
あのときなぜ私に「魅力的」とささやいたのかなどあなたに訊きたいことはいっぱいなのでしょう。
私は恋愛に対して待ちの姿勢で臨むタイプですから納得する答えを欲しがります。
切り捨てられる前に自分から見切りをつけて新しい道を歩んでゆく。
そんな強いメンタリティは私には期待できません。
あなたとまた会話ができるのならばあれもいいたいこれも訊きたい。
複雑な思いの中で自分の行動の矛盾には気付いているかもしれません。
ああ、私はやはりダメだという思いです。
しかし「待つ女」の性(さが)のようなものが私を過去に縛り付けています。
答えをくれるのはあなたではなく新しく現れる誠実な男性であることを私はまだ知りません。
逃した魚について考えすぎて目の前にいる活きのいい魚までも見失ってしまうのです。
私には自分から愛を与える気持ちが決定的に欠けているので未来はありません。
あいみょんのドラマは残酷
なれない なれない
あなたのものにはなれない
いらない いらない
こんなヤケクソなんて
ああ ジーザス こんな結末に
望み一欠片もないの
ああ 結局私がチョロいの
思われて当然、ああ
出典: 鯉/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
一部リフレインを含みます。
望みのない恋愛とその結末。
終わりは来ているはずなのにまだ執着をしている様子の私。
私はあなたに軽い女・便利な女的な解釈をされたことに「やられた」という思いを抱いている様子です。
リスナーの方は失恋したことについては共感力を発揮できるかもしれません。
しかしこの恋自体にはあまり心を震わされるものは感じないでしょう。
あいみょん自身が私の様々な想いをスカに乗せちゃいますからノリだけが共有されるのです。
リスナーにとっても楽しませてくれた私に感謝するくらいの思い入れしかできないかもしれません。
あいみょんがそのことを狙って私を描いていることに怖さを覚えます。
彼女が描いたのはドラマです。
失恋に関してひと言いいたいというようなラインは出てきません。
ドラマに昇華されているので解釈はリスナーに任されます。
この上ない軽さを帯びた失恋ソングでライブではノリに乗って歌われるのかもしれません。
色々と振り回されている私は可哀想なのですが同情するほどの深い嘆きも読み取れないのです。
あるのは私の後悔で、ああ、どうしてこうなってしまったのだろうという想い。
そして私自身もどこかでこうなるのも仕方ないよなと諦めているフシがあります。
共感されない失恋ソング。
私の若さだけが可愛くみえるかもしれません。
ここまで望みがないのに「待つ女」でいる私は受動的な姿勢でしか物事と関係を結べないのでしょう。
私の人生におけるすべての姿勢は「待つ女」のモデルに凝縮されているのです。
能動的な姿勢で愛を勝ちうるのは、私がもう少し試練を経たりいい恋愛をしてからかもしれません。
いまのところそうした境地に立てない私は都合のいい女というポジションしか用意させないのです。
救世主に祈ったり嘆きをぶつけたりとどこまでも隷属的で受動的な私。
そんな私にあいみょんが用意した結末はヘルプレスな未来なのです。
ここにあいみょんの作家性のようなものが見え隠れします。
「鯉」のレクイエム
私の愚かさを笑え
なれない なれない
あなたのものにはなれない
いらない いらない
そんなヤケクソなんて
ああ ジーザス こんな結末を
誰が予想しましたか
ああ 結局私がチョロいと
思われて完結
ああ ジーザス こんな結末に
望み一欠片もないの
結局 私がチョロいの
思われて当然、ああ
出典: 鯉/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
いよいよクライマックスです。
すべてリフレインの組み合わせになっています。
逃した魚は大きいとうことわざについてもう一度考えましょう。
このことわざはイリュージョンについての言葉です。
一度、ゲットできたであろうものが失われてしまった。
実際に逃した魚よりも観念の中でもっと大きくて素晴らしい魚だったと思い込んでしまう。
これが逃した魚は大きいの意味です。
つまりあいみょん自身がその逃げた魚は実際には大したものじゃないよと私に忠告しています。
私の思いにいまひとつ共感できないのも、あなたがいけ好かない野郎なのもすべては仕組まれたもの。
あいみょんは徹底的に共感されない失恋ソングを創ったのです。
繰り返しますがそうでなければ失恋の傷心をスカの軽快なビートに乗せたりはしないでしょう。
「待つ女」の宿命から導かれる愚かさのようなものをドラマの形で戯画化してみせた。
それが「鯉」の正体なのです。