「いっそ セレナーデ」は23rdシングルとして、1984年10月24日発売されました!
井上陽水の楽曲全般に通じているのは、非常に具体的情景の浮かばない独特の歌詞・世界観をあらわしています。
不思議なのは、この作品が時代の匂いはしっかりあるもののいっこうに古さを感じさせないことです。
様々な言葉が、様々な事象を通して研ぎ澄まされ、多くの人々の生きた言葉がストックされていて、それらの言葉にインスピレーションが加えられ独特の歌詞として生み出されたのでしょうか。 誰も真似できない素晴らしい陽水さんの世界ですね。
この曲は、井上陽水も出演したサントリー「角瓶」のイメージソングに起用されました。
「いっそ セレナーデ」は多くの人がカバーしています。
男性・女性関係なく多くの人が、カバー曲として歌っています。
井上陽水の略歴
1973年発売のアルバム「氷の世界」は、「アルバム」として日本市場で初のミリオンセラーを記録し歴史を塗り替えたと言われました。
その後も1984年のアルバム「9.5カラット」が売り上げ100万枚、
1999年のベスト・アルバム「GOLDEN BEST」は売り上げ200万枚と3度も「アルバムミリオンセラー」を達成しています。
「アルバム」3度のミリオンセラー達成
井上陽水は、デビュー前からビートルズとボブディランの熱狂的ファンでした。
1969年芸名は「アンドレ・カンドレ」でデビューしました。 デビュー曲「カンドレ・マンドレ」2曲目「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、3曲目「花にさえ、鳥にさえ」も不振に終わり、「アンドレ・カンドレ」としての活動は終わることになったのです。
1971年、ポリドール・レコードに移籍し、初のアルバム「断絶」のレコーディングを始めます。翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たします。
翌1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位)となり、同年7月には初のライブアルバム「陽水ライヴ もどり道」がリリースに至りました。
人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲でした。
楽曲の提供と「いっそセレナーデ」のヒット
1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットします。
これらのヒット曲をはじめとする提供曲を、アルバム「9.5カラット」にも収録。他のアーティストへ提供した楽曲を陽水本人セルフカバーしたアルバムでした。 その中で唯一オリジナルな本人歌唱の曲が「いっそセレナーデ」です。
「9.5カラット」は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては「氷の世界」以来2作目のミリオンセラーとなり、このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得しました。
1999年、ベスト・アルバム「GOLDEN BEST」がリリースされ、自身3作目のミリオンセラーとなった後も売り上げを伸ばし続けました。