CHAGE and ASKAの名曲「モーニングムーン」とはどんな曲?
1986年2月にリリースされた「モーニングムーン」はCHAGE and ASKAの14thシングルです。
この頃のCHAGE and ASKAは、ワーナー・パイオニアからキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)に移籍したばかりで「モーニングムーン」は移籍後初のシングルでした。
同曲は1980年代半ばから90年におけるCHAGE and ASKA最大のヒット曲となりました。
今さら聞けない、CHAGE and ASKAってどんなアーティスト?
CHAGE and ASKAは1979年8月、ワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージック・ジャパン)からシングル「ひとり咲き」でデビューしました。
メンバーはCHAGE(チャゲ)こと柴田秀之と、ASKAこと宮﨑重明2人によるデュオです。
デビュー当時はチャゲ&飛鳥(1979-1988)、その後CHAGE&ASUKA(1989)、CHAGE&ASKA(1990-2000)、そして現在のCHAGE and ASKAへと表記は変わりました。
ここではCHAGE and ASKAに統一して表記させていただきます。
高校の同級生だったCHAGE and ASKA
もともとCHAGE and ASKAは高校の同級生で友人でした。大学在学中、それぞれ別々に第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場。
福岡大会でCHAGEがグランプリを受賞しました。
ヤマハの九州担当D・秋吉恵介のすすめでCHAGEとASKAが組むようになり、当時は7人編制のバンド・チャゲと飛鳥となりました。
第16回大会のポプコンで入賞を果たした2人。第17回大会でもいいところまで行ったのですがグランプリ獲得はなりませんでした。
実力を認められた彼らですが、レコード会社は7人ではなくCHAGEとASKAのみでデビューさせたがっていました。
しかし2人はデビューするなら7人でとかなり粘ったのですが、ほかのメンバー5人の了承もありデュオとしてデビューすることとなりました。
シングル「ひとり咲き」でデビュー
1979年8月、1stシングル「ひとり咲き」でデビューしたCHAGE and ASKA。
同曲はオリコンチャート最高24位どまりでしたが、通算31週も100位以内に留まるロング・ヒットとなりました。
その後、「流恋情歌」(1980)、「万里の河」(1980)など9枚のシングル、6枚のアルバムをワーナーからリリース。
そして1986年、キャニオン・レコードへ移籍し大ヒットした「モーニングムーン」をリリースしました。
「SAY YES」でダブルミリオン達成!
1991年にリリースされた27thシングル「SAY YES」は、大ヒット月9ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌に起用されました。
同曲はCHAGE and ASKAにとってデビュー12年目にして初のシングルチャート1位獲得作となったのです。累計売上総数は282万枚を突破、大ヒットとなりました。
ベストアルバム『SUPER BESTⅡ』もダブルミリオン
1992年にリリースされたベストアルバム『SUPER BESTⅡ』は、大ヒットした「モーニングムーン」「SAY YES」を含む全15曲が収録され、累計269.7万枚を突破しました。
「YAH YAH YAH/夢の番人」で2度目のダブルミリオン
1993年3月にリリースされた「YAH YAH YAH/夢の番人」(両A面)は織田裕二×三谷幸喜ドラマ「振り返れば奴がいる」(フジテレビ)の主題歌とビールのCMソングに起用されました。
発売日までに70万枚出荷。さらに30万枚追加で一気にミリオンを達成しました。
オリコン週間ランキングで初週75万枚突破、累計241.9万枚(オリコン調べ)を突破し「SAY YES」に続く2度目のダブルミリオンを達成しました。
同曲でCHAGE and ASKAは自身初のオリコン年間シングルチャート1位を獲得しました。
ここまででCHAGE and ASKAがどれほどの偉業を成し遂げた、偉大なアーティストだったかおわかりいただけたでしょうか。