言葉など覚えたくない
抽象的なモチーフで絵を描くこと
ちりぬるをはいいや
もう言葉はいらないね
洒落の匂う上辺 ヒトの皮を脱いで
いいとこどりに余念がないね
記号だけじゃ描けない?
出典: binary/作詞:チャム(.△) 作曲:渡辺壮亮
言葉というものもコンピューターの中では二進法にされます。
私たちは言葉を覚えたばかりに辛い思いをすることだってあるのです。
それならば言葉なんて覚えるべきではなかったと僕は考えます。
チャム(.△)という人は圧倒的なカリスマで言葉の才能も豊かなアーティストです。
そんな彼女であってももう言葉は不要だと思うときがあるのでしょう。
論争でのマウント合戦のために言葉が動員されている現状に嫌気が差したようです。
また最近ではわざわざ自分から炎上を望むような人も頻繁に現れます。
暴言を吐くことで炎上商法に精を出して、なおかつ「バズった」と喜ぶ人たち。
チャム(.△)にとってこうした人は我慢ならないようです。
人間であることをやめていないかという表現で批判します。
実際にこうした人たちからは人間の良心というものが感じられません。
チャム(.△)はこうした題材を「パプリカはポストヒューマンの夢を見るか」などでも歌いました。
そこでもこうしたノイジー・マイノリティについて辛辣な批判をしています。
記号のような抽象性のあるものに物事を変換して絵を描くことはできないかと問うのです。
言葉はどうしても具象性に訴えることがあります。
特に議論に使われる言葉は明確さが求められるので具体的なものが好まれるのです。
しかし記号のような抽象的概念や絵画のようなものに結晶することの方が人間的に豊かだと見抜きました。
さらに追求するとコンピューターでも記号は描けますが、その基礎の二進法に記号は介在できません。
この記号というもの、または抽象的概念や物事の方が大事ではないかと訴えるのです。
愛というものを例にあげてもいいかもしれません。
ハートマークという記号が象徴する抽象的なものの方が豊かなのです。
もちろんゼロとイチの行進の中にハートマークは描けません。
チャム(.△)の書く歌詞は非常に高尚な事柄を歌って、なおかつラブソングの形に結晶するのです。
とてつもない才能だと思わずにはいられません。
コピー・アンド・ペーストの文化
悟られぬように
本当を誰も知らない
模倣犯だらけ
躍起になって皆笑う
出典: binary/作詞:チャム(.△) 作曲:渡辺壮亮
誰もが真実というものに近付けなくなってしまったと嘆きます。
また自分の本音は隠したままでネットでの炎上を求める人だっているのです。
コンピューターなどのデジタル機器とインターネットの普及は人類の夢を叶えるはずでした。
世界の距離を近付けることができて人類は相互理解だって可能になると夢見て発明されたもの。
それがコンピューターシステムであり、インターネットでした。
しかし実際に二進法が支配する世界になると人類の思想はより単純なものだけが愛されます。
コピー・アンド・ペーストは一瞬でできることです。
思想を横取りすることも簡単な時代になってしまいました。
オリジナルがどこにあるのか不明なネット社会で私たちはゲームを競っています。
歌詞中の模倣犯というキーワードはこの点で重要でしょう。
チャム(.△)は僕という人物の語りを借りてこの現状を嘆くのです。
歌の言葉はオリジナリティが強く滲むものでしょう。
チャム(.△)は自分の言葉がそうした波のようなものの脅威に晒されるのを嫌がるのです。
さらに同調圧力についてもう一度口にします。
誰もが笑うことを強いられる社会は笑顔のファシズムのようなものでしょう。
一方で自分は異口同音のような陳腐なアイディアには満足できないという思いも滲ませています。
雑音も要らない
ノイズだらけ 独りのようで
どこにもいないようで
出典: binary/作詞:チャム(.△) 作曲:渡辺壮亮
コンピューターシステム、あるいはネット社会はノイズにまみれていると歌います。
実際に少数派であっても声だけデカいというような人たちがネット社会で覇権を握りました。
繰り返しますがノイジー・マイノリティの問題です。
こうした人々に対してチャム(.△)はこの歌だけでなく他の曲でも批判を展開していました。
よほど腹に据えかねる問題に感じるのでしょう。
実際にこうした人がネット社会で覇権を制することが実社会の世論の動向を左右します。
また不要な情報がネット社会で散乱していることも我慢ができないのでしょう。
さらに深刻な問題が積もってゆきます。
ネットに依存しすぎたパーソナリティへの疑問というものを提出するのです。
チャム(.△)だってSNSを利用しています。
しかしこうしたツールに依存している状態ではありません。
一方でネット依存によってSNS上で繋がっていることに安心しがちな人が一定数存在します。
実社会では孤立している人でも誰かと繋がっていると錯覚できるのがネットというものでしょう。
しかしこうした人はネットでは人気者であっても実存としての重みが希薄だったりします。
こうした所在さえ定かでない人の意見で私たちは右往左往することさえあるのです。
二進法の世界ではやっていけないというチャム(.△)と語り手の思いが透ける箇所でしょう。
音楽というもの、特にバンドというものは音楽という抽象的なものを媒介に会話します。
それでもメンバーとのダイレクトな人間関係なくしてはありえないものでしょう。
アナログな世界での喜びを大事にしたいとチャム(.△)は願っているのです。
最後に この世界を超える
二進法の世界に未練はない
きっと0と1
君と会えたら
飽きるほど悪くはないかな
来世で、また今度
あれは0と1
君に会いに行くよ
「飽きるほど話をしよう」と
来世で、またいつか
出典: binary/作詞:チャム(.△) 作曲:渡辺壮亮
もう終盤の歌詞になります。
ご覧のようにリフレインを含んだ歌詞になっているのです。
ここでも二進法の世界で君と出会ったことを僕は残念に思います。
本来ならば憧れの人と出会えると夜通し話しができると喜ぶところでしょう。
しかし二進法の世界、つまりネットを媒介とした出会いだったらどうでしょうか。
それでも実際に会って交友関係を築くことだってできます。
しかし僕はこうした出会いをどこか不幸に思っているフシがあるのです。
ネットでの出会いではなくリアルでの運命によるものだったらよかったのにと思うのでしょう。
ネットでの出会いというものはどこか泡のように弾けて消えてしまう心配があります。
だからこそ存分にお話するのは来世での出会いに賭けようと僕は願うのです。
実際のコミュケーションによって言葉を使うこと。
そうして僕と君のふたりが会話することを素敵だと思うばかりに二進法での出会いは逃したい。
僕はどこまでもダイレクトなコミュニケーションというものに重きを置く人物なのです。
チャム(.△)はこの出会いを軽く来世へと送り込んでしまいます。
君は素敵だけれども出会い方がどうもいけなかったと簡単に関係を手放すのです。
僕はあまり未練を感じずに君との関係を来世に委ねます。
この軽さというものがチャム(.△)や嘘とカメレオンにある洒脱さの真髄です。