fhánaの「ムーンリバー」とは?
「ムーンリバー」は、2017年4月26日に発売されたfhánaの11作目のシングルです。
森見登美彦の小説を原作とするアニメ「有頂天家族2」のエンディング曲として話題になりました。
もともとfhánaにとって同アニメの第1期である「有頂天家族」のエンディング「ケセラセラ」がメジャーデビューシングルなので、
彼らにとっては特別な作品と言えるでしょう。
4年近くを経て再び「有頂天家族」のエンディングを飾ることとなった「ムーンリバー」は、明るくキャッチーな楽曲が多いfhánaにとって、
その音楽性においても新境地となる一曲となりました。
まずは、PVを見ていきましょう。
fhána「ムーンリバー」のPVを公開!
「有頂天家族」は京都を舞台に、古来より人に化けた狸と天狗が、人間社会に紛れて暮らしているという設定の中、
狸の棟梁であった父を失い、それでも家族で力を合わせて時に真面目に、時に面白く、生きていく下鴨家の家族の物語を中心に展開していきます。
そんな「有頂天家族」は現実の京都の街の中に狸や天狗などの設定が見事に溶け込んだ世界観で、アニメも実在する建物などがそのまま描かれています。
そのため、アニメを見ていた方、また、京都に住んでいる方はすぐにわかると思いますがエンディングとなった「ムーンリバー」のPVも、
アニメの舞台となった京都の町並みや建物、登場人物が宿泊していたホテルの一室などがそのまま映し出されておりファンにはたまらない映像となっています。
また、「有頂天家族2」でより深く掘り下げられ、楽曲のテーマにもなっているキャラクターである、
弁天(CDのジャケットの女性キャラクター)を彷彿とさせるような、どこか妖艶で美しい夜のイメージも反映されたPVですね。
では、次は「ムーンリバー」の歌詞を見ていきましょう。
fhána「ムーンリバー」の歌詞の意味を解釈!
「有頂天家族」では最強にも思えたキャラクターである弁天の初めての挫折が描かれる「有頂天家族2」のエンディング「ムーンリバー」は、
今回作曲を担当したyuxukiさんからfhánaの楽曲の作詞を担当している林英樹さんに女性の強さと弱さを表現してほしいとオーダーしたそうです。
その結果、2016年秋の喉のポリープを手術したことから、同じく挫折経験したというボーカルのtowanaさんも、共感しながら歌えたとか。
そんな「ムーンリバー」の歌詞は主人公の狸の一家の三男坊、下鴨弥三郎の視点で、弁天の姿が描き出され、その想いが綴られています。
早速歌詞を解釈していきましょう。
気まぐれな彼女が見せた涙
月を愛でては時には盗んで
気まぐれな彼女は ah
川辺で一人頬に涙
美しくたゆたう
僕の手取りながら心はどこかに浮かぶ
出典: ムーンリバー/作詞:林英樹 作曲:yuxuki waga
「月」と言えば、第1期で弁天が主人公の弥三郎に月を取って欲しいとわがままを言うシーンがあり、
第2期では弥三郎の月を天満屋が奪い、弁天に渡し、弁天が弥三郎に返すというシーンがありましたね。
「月を愛でては時には盗」むような、鬼をも恐れぬ「気まぐれな彼女」とは弁天のこと。
しかし、天狗である赤玉先生に攫われ、天狗の術を授けられ、強大な力を手に入れたことで、
だんだんと自由奔放な性格になっていった弁天でしたが、元々はそんな性格ではありませんでした。
師匠の赤玉先生さえ追い落としたことで、最強になったような気持ちでいた弁天でしたが帰還した赤玉先生の息子である二代目との戦いにあっけなく敗れ、
川に墜落し川辺で涙を流したのでした。
そんなシーンを彷彿とさせるこの部分の歌詞は、実際には赤玉先生が駆けつけ、弥三郎が見た時には二人でいましたが、
「一人頬に涙美しくたゆたう」と言う歌詞から、歌い出しで描かれた姿とは違う弱い姿を窺うことができますね。
また、「僕の手取りながら心はどこかに浮かぶ」という歌詞には、空を飛べない狸の弥三郎の手を引いて幾度となく弁天が空を飛ぶシーンがありますが、
そんな弁天の横顔を見ながら、彼女の心の在処を思う弥三郎の感情が描かれているのでしょう。
弥三郎のことを食べてしまいたいくらい好きだと言う弁天ですが、弥三郎は弁天のことを想いながらも、
彼女にふさわしいのは自分ではないとわかっているという二人の微妙な距離感も感じられる歌詞ですね。
君が傷つくときも笑うときも追いかける
重ねた手にはまだぬくもり
切ない夢のそのあと先
でも君の目は遥か未来を見ていたね
ずっとずっと追いかけたよ
君が傷つく時も
そっとまぶたに焼き付いた君の姿に
今また遠くへと ah
飛んでいく 君はほら彼方の人
出典: ムーンリバー/作詞:林英樹 作曲:yuxuki waga
最終回では弁天が二度目の戦いでも二代目に敗北し、ベッドで自分のことを可哀想だと繰り返す姿が描かれます。
いつも弁天を見守ってきた弥三郎にとっては、様々なことを画策する彼女の姿を、うまくいったときも、敗れ、「傷つく時も」見ていたのでした。
そして、いつも見守る弥三郎の存在に弁天が甘えようとしていることを弥三郎自身が分かりながらも、
傷ついてもまた立ち直り、「遠くへと」「飛んでいく」弁天の性質から、ある程度のところで近づかないようにしているのでした。
「君はほら彼方の人」という歌詞は、弁天のことを想いつつ、必要なのは狸じゃないと
身を引こうとしている弥三郎が自分に言い聞かせているようにも聞こえますね。
相反する感情の間で漂う僕
僕と君とはこの川をへだて
ただそれぞれの道を
歩いていくと君は笑った
予言者みたいに
僕は漂流者のよう 君の心に触れたくて
出典: ムーンリバー/作詞:林英樹 作曲:yuxuki waga
「僕と君とはこの川をへだて ただそれぞれの道を 歩いていく」という歌詞は同じ道を歩んではいけない二人の姿を描いているのでしょう。
そして、「君の心に触れ」たいという感情と、自分はふさわしくないと割り切っている感情、
相反する二つの感情の間で揺れる弥三郎の姿を「漂流者のよう」といっているのですね。