つまらない奴に割く時間もない
形はいつも定まらないまま
頼りない言葉が宙を舞う
出典: MOOD/作詞:Kai Takahashi 作曲:Kai Takahashi
誰にでも嫌なできごとは巡ってくるもの。
何も悪いことをしていないのに因縁をつけられてしまうこともあるでしょう。
そんなとき、どうしてもそのできごとにしがみついて愚痴をこぼしてしまいたくなります。
しかし、人生にはそんなつまらない人に構っているひまなどありません。
それは分かっているけれど、自分を励ます言葉には力がないままふらふらと人生は巡っていくのです。
主人公には常識を超える言葉が必要なのかもしれません。
がんじがらめの主人公
楽しいだけなら浮かれてりゃいい
プライドばっか高いんじゃそこまでだろう
ほらまたわめくのさ
変わったのは服くらいで
出典: MOOD/作詞:Kai Takahashi 作曲:Kai Takahashi
25歳というのは、大人になっていろいろなことに向き合いはじめる時期。
楽しいだけの時間は過ぎ、プライドにしがみついていた自分も見直しはじめます。
でも、そんな自分がまだ変わっていないことにも気づき、がんじがらめになってしまうのです。
以前と全く変わっていない自分。
洋服やルックスなど表面的には変わっているけれど、中身は全く変わっていない自分。
そんな姿を目の当たりにして愕然としてしまっている様子が感じ取れます。
そして主人公は考えれば考えるほど深みにハマっていきます。
壊れそうな想いなんていらない
誰かの好きは誰かの嫌いでさ
つまりはさっきの話だろ
出典: MOOD/作詞:Kai Takahashi 作曲:Kai Takahashi
主人公は、25年間生きてきて、人の想いは変わるものだということを学習したのでしょう。
恋愛や家族の愛情など人間関係を見ていれば、それくらいのことは分かります。
さっき「好き」だと言っていたはずの彼女が今は「嫌い」と言っていたり。
そう、好きと嫌いは表裏一体。好きという感情が突然嫌いに変わったりするのです。
そんな揺れ動く感情を、主人公は信頼することができません。
例え誰かが自分を好きだと言っても何か裏があるんだろ?とタカをくくってしまう主人公がいます。
帰ったら気持ちをリセット
行き違いばかりでもう疲れた
比べてばかりいても仕方ない
結局帰るのは同じ
出典: MOOD/作詞:Kai Takahashi 作曲:Kai Takahashi
好きだと言ってみた彼女が次の日には嫌いと言っている。
そんな状況を目の当たりにして、主人公は心底疲れてしまったようです。
とても疲れたとき、思い出すのは金や名誉のある人々。
華々しく活躍する人々と今の何もない自分をどうしても比べてしまいます。
でも主人公には精神的にリラックスできる場所があります。
どんなに疲れていても主人公が変える場所。
それが家なのです。
家でゆっくりシャワーを浴びて、寝る。
それだけで気持ちがリセットされるのでしょう。
帰る場所について
帰る場所があるということは素晴らしいこと。
自暴自棄になった気分をそのままにしておくのとリセットできるのとでは大違いです。
私たちも、何か嫌なことがあったときにリセットできる場所を見つけておきたいですね。
味のないキャンディーって?
むなしい気持ちを表す言葉
今夜街へ駆け出す味のないキャンディーを
ポケットに忍ばせきっと
このムードによっていたいよ ずっと
今夜街へ駆け出す味のないキャンディーを
ポケットに忍ばせきっと
このムードによっていたいよ ずっと
出典: TONIGHT/作詞:Kai Takahashi 作曲:Kai Takahashi
主人公は物思いにふけってしまった夜、おしゃれな街へと繰り出します。
しかし味のないキャンディーとはどういう意味なのでしょうか?
キャンディーには味がついているもの。
味のないキャンディーなんてこの世に存在しません。
それでは一体何を意味しているのでしょうか?
いくらなめても味がしないキャンディー。
それでも持っていたいのはどうしてなのでしょう?
おそらく、味などなくても持っていたい魅力があるのでしょう。
それはキャンディーが好きだからではないでしょうか。
「味」は金や名誉、「キャンディー」は好きなことに例えているのかもしれません。
つまり、金も名誉もないけれど、好きなことだけは大切にしておきたい。
そんな風に考えることもできます。
もうひとつ別の解釈があります。
主人公が夜街へ出てみると、街はまるで味のないキャンディーのようにむなしく感じるのかもしれません。
都会にありがちなおしゃれな感じはするけれど、なんとなくむなしい雰囲気。
それを敏感に感じ取って「味のないキャンディー」と例えているとも考えられます。
それでも今は、ただその雰囲気だけを感じ取っていたい。
嫌なことがあったときには、そう考えてしまうこともあるのでしょう。