圧倒的カリスマ、尾崎豊

1965年にこの世に生を受けた尾崎豊は、数々の名曲を生み出し、1992年に他界してから20年以上たった現在でも新たなファンを増やし続けています。

すでに小学校高学年のころには学校に行かず、自宅にあった使われていない兄のギターを手に弾き語りをする日々を送っていたという尾崎豊

そのころからすでに音楽への傾倒は始まっていて、高校生のころには音楽をして生きていきたいと思うようになります。

作詞や作曲もすでに行っており数曲仕上がっていましたが、まだどこにも発表していないような状況でした。

中学校を経て高校に進学するも、飲酒や喫煙、乱闘など度重なる問題行動についに停学処分を下されてしまいますが、これが尾崎豊がオーデイションを受けるきっかけとなります。

オーデイションで「ダンスホール」を披露!

後に尾崎豊の運命を決定づけることになるこのオーデイションで、尾崎豊は「ダンスホール」を含む数曲を披露、見事に合格します。

高校在学中にファーストアルバム【十七歳の地図】でデビュー。

リードシングル「15の夜」の歌詞の実際に尾崎豊が友人と家出した時のことが描かれ、当時の十代の心情を見事に表現している名曲とされています。

その後高校を自主退学、セカンドアルバム【回帰線】を発表。このアルバムはオリコン1位を獲得、名実ともに一流ミュージシャンの仲間入りをすることになります。

「卒業」や「I LOVE YOU」など、現在でもよく耳にするほど大ヒットし、若者のカリスマとしての地位を不動のものとしました。

現在でも名盤と名高いこのアルバムに今回紹介する「ダンスホール」は収録されています。

「ダンスホール」のモチーフになった事件とは

新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件

1982年6月、尾崎豊が16歳の時に起こったこの事件は大きく世間を騒がせた殺人事件でした。

東京の新宿、歌舞伎町でディスコをはしごしていた当時14歳の少女2人が若い男に声を掛けられ、共に飲食し、遊んだ後に男の車に乗ってドライブに繰り出しました。

車中でうっかり寝てしまった一人の少女が目覚めると友人の姿がありません。

不審に思いつつ少女は男に言われるがまま、車を降り散歩していると突然殴られ、首を絞められ失神してしまいました。

彼女が次に目を覚ました時には男は消え、友人の遺体があるのを目にします。

通行人の通報によって発覚したこの事件。

まだ十代前半の少女が被害者であったこと、当時ブームであったディスコが犯行のきっかけとなった舞台であったこと、犯行の手口の残忍さからもかなり大々的に報道され、社会的に様々な影響を及ぼしました。

この事件の詳細です。

ディスコブームの終焉はこの事件がきっかけになったとも言われています。

事件の被害者が犯人を会話を交わして行動を共にしていることから犯人像は明確であり、事件に使用された車の特徴なども覚えていたことから事件当時犯人はすぐ逮捕かと思われていました。

しかし実際はいまだに犯人はわからず、未解決のまま公訴時効を迎えています。

尾崎豊の「ダンスホール」は、この事件をモチーフとして創られたといわれています。

尾崎豊「ダンスホール」の歌詞の世界

安いダンスホールは
たくさんの人だかり
陽気な色と音楽と煙草の煙に巻かれてた
ギュウギュウ詰めのダンスホール
洒落たちいさなステップ
はしゃいで踊り続けてる
お前を見つけた

仔猫のようなやつで
生意気なやつ
小粋なドラ猫ってとこだよ
おまえはずっと踊ったね

出典: https://twitter.com/akutakumo/status/852102220728246273

80年代の夜の街

ディスコで犯人に目をつけられたのであろう少女たち。

大人の夜の世界で、まだあどけなさの残る彼女たちは新鮮で男性たちの気を惹いたことでしょう。

今でしたら未成年が公共の場で飲酒したり喫煙したり、深夜にディスコのような場所に入りびたるなど考えられませんが、80年代の当時はこういう時代でもありました。

まだ頼りない子猫のような彼女たちが精一杯背伸びをし、おしゃれをし、一人前の口を利くその危うさを、尾崎豊は繊細な感受性で表現しています。

気取って水割り飲み干して
慣れた手つきで火をつける
気の効いた流行文句だけに
お前は小さく頷いた

次の水割り手にして
訳もないのに乾杯
「こんなものよ」と
微笑んだのは
確かに作り笑いさ

出典: https://twitter.com/YamagamiMasashi/status/787463746323030016

少女たちの姿を痛々しさを描写した様子が胸を打ちますね。

繰り出したダンスホールではなじんだ様子を醸し出しているようですが、尾崎豊には無理をしている彼女たちの姿が見えているようです。 

内容のある会話は求めず、当たり障りのない口説き文句や会話のみを求める少女たちの浮かべる笑顔はつくり笑いだと見抜き、彼女たちが内に抱えている空虚さを見抜いています。

空虚さに乾杯を重ねて

心の奥底では楽しんでいないのににぎやかにお酒を飲み、乾杯を重ね嬌声をあげている彼女たちの姿が目に浮かぶようです。

きっと尾崎豊は、この歌詞の中の主人公のように少女たちに声をかけずにはいられなかったでしょう。

それは事件の犯人のように邪な心をもってではなく、放っておけない彼女の不安定さ、危うさを感じ取り彼女たちの救いとなるべくです。

もし実際にそんな人物が一人でも彼女たちに声をかけていたら、事件は起こらなかったのかもしれません。

犯人が悪なのはもちろん揺るぎありません。

しかし未成年の彼女たちがダンスホールになじんだ様子を見せるほど夜の街に繰り出しているのを、周りの誰もが気にかけることはなかったことが事件の一端を担っていることを示唆しています。