どんなときも。
槇原敬之最大のヒット作
「どんなときも。」は1991年6月にリリースした槇原敬之3枚目のシングルです。
「マッキー」の愛称で親しまれ、音楽に明るくない人でもその名を知っている槇原敬之。
その槇原にとっての代表曲のひとつであり、シングルでは自身最大のヒット曲です。
この曲のリリースをきっかけに多くの人に知られるようになりました。
槇原の曲は本人いわく「ライフソング」がほとんどです。
何か特別なことを歌うのではなく、誰にでもある日常の出来事や身近な恋愛を題材にしています。
後ほど歌詞をじっくりご覧いただきますが、歌詞にはその日常に起こる些細な出来事や心情の移り変わりなどがたいへん丁寧に描写されています。
ありきたりすぎる表現でもなく、かと言って奇をてらうような言い回しでもなく。
聴いている人にダイレクトに響く「日本語力」と、音の作り方が槇原の持つ最大の魅力ではないでしょうか。
このテーマソングとしても大注目
この曲はいくつものテーマソングとして起用されています。
…が、もっともメジャーなのは織田裕二主演の大ヒット映画「就職戦線異状なし」でしょう。
当時、織田裕二が主演するドラマや映画はもれなくヒットしていたので注目度も高かった作品です。
映画の後押しもあり、槇原はこの曲で初めてオリコンチャートイン、発売から一ヶ月後にはオリコン1位を獲得します。
この曲を作るきっかけになったのは、音楽業界の知り合いから「織田裕二主演の映画主題歌を募集しているから応募すれば?」と勧められたからだとか。
当初はストレートすぎるタイトルに自信がなかった槇原でしたが、直感を信じて楽曲を制作していくことに決めたそうです。
映画の他には選抜高等学校野球大会の入場行進曲やケンタッキーフライドチキンのCMに起用されたりと、この曲で着実に槇原の名前を全国に浸透させることになったのです。
槇原敬之というアーティストについて
高校時代のデモテープをあの人が絶賛!
槇原が16歳の時、NHKの「サウンドストリート」という番組にデモテープを送ったところ、楽曲を聴いた坂本龍一が絶賛し、当時は素人だった槇原の曲がフルコーラスで流れました。
この後、番組の企画でアルバムを作成しており、アーティスト名C.M.C(コンプレッサーズミュージッククラブ)の「HALF」はその中にも収録されています。
絶頂期からの転落
その後、別のオーディションでグランプリを獲得した槇原は1990年「NG」でデビューします。
着々と人気を積み重ね、3枚目のシングルだった同曲で一気にブレイク。
「もう恋なんてしない」「遠く遠く」などの槇原の代表曲を次々とリリースしていきます。
しかし絶頂期の1999年、覚せい剤取締法により槇原は逮捕、音楽活動の休止を余儀なくされます。
有罪判決を受けた際、担当の検事が槇原に「私もあなたのCDを何枚か持っています。元気が出ます。」と話したといいます。
槇原はこの事件を通して、自分自身を深く顧みるとともに、自分の音楽を本当に伝えたい人たちに発信していく決心をしたそうです。
「世界に一つだけの花」で再び
その後、活動を再開したものの、絶頂期のような勢いが欠けてはいました。
厳しかった世間が再び槇原を受け入れたのは、槇原自身が作詞・作曲しSMAPに提供した「世界に一つだけの花」でした。
SMAPは残念ながら解散しましたが、それも伴い、この曲は今でも売上数を着々と伸ばしています。