音楽界に多大な影響を与えたTHE YELLOW MONKEY


THE YELLOW MONKEYは、1988年に結成されたロックバンド

ボーカルの吉井和哉を筆頭にギターの菊池英昭、ベースの廣瀬洋一、ドラムの菊池英二から成るバンドグループです。

バンド名の『THE YELLOW MONKEY』は、西洋人が東洋人に対するある種の蔑視を形容した「イエローモンキー」と、洋楽に感じるコンプレックスを込めています。

そんなハングリー精神を秘めたTHE YELLOW MONKEYは、1992年5月のメジャーデビューからじわじわと知名度を上げ、シングル『太陽が燃えている』がスマッシュヒット

『JAM』で一気に火がつき、日本を代表するロックバンドとしての地位を不動のものにしていきます。

 彼らが生み出す魅力的な楽曲は、音楽界の中でもファンを公言する人が多いほど評価も高いです。

活動休止そして解散へ


ヒットナンバーを確実に生み出し、トップアーティストとして安定した活動を見せていたTHE YELLOW MONKEY

反面、個別での活動が忙しくなりバンドとして機能しなくなりつつもありました。

そして2001年1月、THE YELLOW MONKEYとしてのバンド活動を一旦休止する形で活動をストップ。

2004年7月には解散を発表します。

活動再開、第67回NHK紅白歌合戦初出場


2004年に解散したTHE YELLOW MONKEYではありますが、2009年あたりからメジャーデビュー20周年の2012年に向けて徐々に活動を活性化

2012年には今までのナンバーやMVの配信、公式Facebook開設などさまざまな試みがされています。

そして2016年、THE YELLOW MONKEYとして全国ツアーを敢行。

全国ツアーの発表と共に、THE YELLOW MONKEYの再結成を遂げました。

同年の12月31日には初のNHK紅白歌合戦に出場し、シングル『JAM』を熱唱しています。

THE YELLOW MONKEYのシングル『JAM』

再結成の2016年、初の出演を果たした第67回NHK紅白歌合戦で披露した『JAM』

同ナンバーは、1996年2月にTHE YELLOW MONKEYの9枚目のシングルとして誕生しました。

カップリング曲はシングルの『Tactics』で、両A面シングルとして発売されています。

THE YELLOW MONKEYの人気を確立させた『JAM』

JAM
Posted with Amakuri at 2017.10.11
THE YELLOW MONKEY
Nippon Columbia Co., Ltd.

スローな歌い出しで始まる『JAM』は、その後に続く重みのあるギターサウンドと絶妙に絡まる吉井和哉のボーカルがミックスされたバラードナンバー。

歌番組『ポップジャム』のエンディングテーマとしても知られています。

そして、8枚目シングルの『太陽が燃えている』でオリコンチャート10位を飾った後、バラード曲で勝負をかけたナンバーでもあります。

その甲斐あってか『JAM』は80万枚以上のヒットを飾り、THE YELLOW MONKEYの人気を確立させました。

思い入れのあるナンバー

THE YELLOW MONKEYの『JAM』歌詞が新聞の一面に?気になる歌詞の意味を調べてみた!の画像

どこか切ない面持ちの『JAM』は当時の世相やそれまでバンドに関わった特別な人物の死別など、

あらゆる出来事を思い起こすナンバーとしてTHE YELLOW MONKEYの思い入れが強いです。

『JAM』の制作時期である1995年 はその前後の年に、「阪神・淡路大震災」や「オウム真理教による地下鉄サリン事件」など大きな出来事があった期間でもあります。

これらの世相から感じた思いを、一曲の歌として書き上げたのが『JAM』でした。

しかし、5分の演奏時間がある『JAM』はTV的には受け入れ難いといった声や、所属レーベルとの温度差があるなどの問題が浮上。

メジャーデビューから間もない当時のTHE YELLOW MONKEYへの風当たりは強く、『JAM』の発表が危うくなりますが、

プロモーター中原繁の活躍が大きなきっかけになり『JAM』は無事世に送り出されます。

ですがプロモーターの中原繁は2000年、志半ばでこの世を去ります。

このため『JAM』は特別な存在へ捧げる歌であり、これまでの中で最も特別なナンバーでもあるのです。

シングル『JAM』の歌詞が新聞に!?

THE YELLOW MONKEYの『JAM』歌詞が新聞の一面に?気になる歌詞の意味を調べてみた!の画像