ユーミンが伝説である理由

天才少女、荒井由実

【埠頭を渡る風/松任谷由実】歌詞の中の2人の関係は○○!?聴く人によって解釈が揺れる歌詞を徹底解説!の画像

1972年、旧姓の荒井由実としてデビューした彼女は、デビューアルバム「ひこうき雲」から世間の注目を集めました。

実はそれ以前から作曲家として活躍しておりYMOなど当時のスター格のミュージシャンと交流のあった彼女ですが、この頃まだ弱冠17歳。

そんな天才少女は瞬く間にヒットチャートを駆け上がります。

その後、1975年にリリースした「あの日にかえりたい」ドラマ主題歌にもなり、初のオリコンチャート1位を獲得します。

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そして松任谷由実へ

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その後、1975年音楽プロデューサー松任谷正隆氏との結婚を機に松任谷由実へと名義を変え、自身でもハイペースで楽曲をリリースしていきます。

「恋人がサンタクロース」など現在まで続く国民的な定番曲も、この頃生み出したものです。

そんな多忙の日々の中、松田聖子など当時のスターたちへの楽曲提供も惜しみませんでした。

あの「赤いスイートピー」も、実はユーミンの作曲だって知ってました?

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呉田軽穂

作曲では大女優グレタ・ガルボをもじった「呉田軽穂(くれたかるほ)」という名前を使っており、現在でもくるり芦田愛菜など、現代の大物たちに楽曲提供を続けています。

余談ですが、この有名人の名前のもじりって当時の流行でもあったみたい。

ダニー・ケイのもじりで谷啓さん(クレイジー・キャッツ)とかね。

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今なお輝くユーミン

彼女と同世代の古参のファンはもちろんのこと、Schmosゆずなど現在ヒットチャートを賑わせる若い世代のアーティストとも深い交流を持つユーミン。

彼女の音楽性の高さは、世代を超えて受け入れられ続けているのです。

もちろんメディア露出としても、人気ラジオ番組「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」でもMCを務めるなど精力的に活動中。

歯に衣着せぬ軽快なトークは、ファンでなくても楽しめてしまう内容です。

是非聞いてみてね!

オールナイトニッポンGOLD 毎週金曜日22:00-24:00 ニッポン放送 金曜日のオールナイトニッポンGOLDはバラエティに富んだパーソナリティが週替わりでお届け!|ニッポン放送をラジオで聴くには周波数FM93MHz、AM1242kHz。パソコン・スマートフォンからはradikoで聴くことができます。

埠頭を渡る風

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1978年10月リリース、ユーミンにとって通算12枚目のシングル

定番となっている夏のライブ「サーフ&スノーiN逗子マリーナ」では毎回ラストに歌われており、打ち上げ花火とともにユーミンファンにはおなじみのセットとなっています。

埠頭ってどこ?

晴海ふ頭のことを歌っているそう。

実際の地名を曲の中に織り込むのは、ユーミンの得意技のうちのひとつですよね。