触れた指でなぞった思い出は
どの言葉で歌にできるかな?
ただ夢の中で絆されたまま
生まれたときは ひとりぼっちだったこと
忘れがちになるのかな?
出典: グレースノート/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
紬が迷い込んだ異世界にあったのは、たくさんの彼女の思い出たちでした。
先程は浮かんだ気持ちを書き留めることもできずにいた紬。
ですが今はその思い出を自分の言葉で歌にしようと試みています。
『夜の国』には自分とヨルしかいない。
そのことがかえって彼女の精神を自由に解き放ったのかもしれません。
とはいえこれは夢。
自分の意志よりも多くの景色や出来事や感情に翻弄されるばかりで、思うように進めません。
そしてそこにあった思い出たちはなぜか陽菜と過ごした日々で溢れていました。
『夜の国』にトリップする前、紬は2人で続けてきた交換日記を捨ててしまいます。
そう、彼女は陽菜との絆の証を捨てたはずでした。
しかし紬の心の中は自分が思っていた以上に陽菜との思い出でいっぱいだったのです。
それは陽菜に出逢う前の孤独な時を忘れてしまうくらいに。
最後の疑問形は紬が夢の事象に翻弄され心が定まらない様子を窺わせます。
明かされる本心
月は心を映す
見慣れた景色に何かが足りない
見上げた夜空に頼りない月明りだけ
出典: グレースノート/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
紬が遠ざけようとしたもの、陽菜。
劇中で紬が日直を理由にして陽菜に先に帰るよう伝えたシーンが思い出されます。
2人はよく一緒に帰っていたのでしょうか。
帰り道の景色はいつもなら陽菜と一緒に眺めていたはず。
でも今日見る景色にいつも隣にいたはずの陽菜の姿はありません。
紬は家に帰り、夜も更け自室に引き揚げます。
その時ふと窓から見た月はきれい、ではなかったのですね。
それは人の心を映す鏡のようなもので、落ち込んだ自分の心を反映しているような気がしたのでした。
心は夜色
泣きそうで投げ出した
書きかけのままの日記
明日は言えるかな?
出典: グレースノート/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
これまで通り2人で日記を続けたいとだけ記した紬。
その理由なども続けて書こうとしていたようですが、思い留まっています。
恐らくは書いたところで陽菜に見せられるものではなくなると感じたからではないでしょうか?
そして書いて言葉にしてしまえば自分の心の醜い部分と否が応でも向き合うことになってしまう。
明日には気持ちを伝えることができるようになっているのかな?
それとも、自分の心が晴れてわだかまりなく接することができているとでも?
いずれにせよ今のこのままでは心に闇が覆う明けない夜が続く気がしてならないのでした。
夜の国が照らしたもの
ふわり指に止まった淡い蝶
この夜更けにどこへ飛ぶのかな?
この深い闇に灯されたまま
生まれたときは ひとりぼっちだったよと
みんな同じなんだよね
出典: グレースノート/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
淡い蝶、随分詩的な表現ですね。
劇中出てくるのですがこれは触れると過去のメッセージを受け取ることができる幻想的な蝶を指しています。
それはどこからやって来たのかも知れず、またどこへ去っていくのかさえわからない不思議な蝶でした。
その蝶が伝えてくれたのは、これまで2人が日記で交わしてきた数々の言葉たち。
そして出会いまで遡ってみた時、ようやく紬は実感したのでした。
2人の友情が偽りではなかったことを。
さて本作の舞台『夜の国』は暗い闇の世界。
空には星の薄明りが照らすばかりで闇は深く、かといって例えば幽霊が出没するような怖さはない。
深淵でいて守られているような安堵感すらある不思議な静寂。
まるでそれは母親の胎内にいるような感覚でしょうか。
そんな中で時折灯りを目にすることもあります。
例えばそれは先述の不思議な蝶であったり、心を照らす灯のようなものだったりします。
その灯は日の光や街のネオンとは全く違った、心の奥底にあるものを浮かび上がらせるものでした。
紬はその闇の灯を前に思いを馳せます。
そして誰もがひとりで生まれてくるのだと悟ることになるのです。
それから時を重ね成長し、人は出逢いを経験します。
紬に出逢いのきっかけをくれた人、これまでの自身の歩みを振り返ってみるとそれは陽菜だったのでした。
また陽菜にとっても自分は出逢いをくれた人だったのだと思うに至ったのではないでしょうか。
優しさの輪を
この気持ちを歌に
君の音で飾った思い出は
どの言葉で歌にできるかな?
出典: グレースノート/作詞:aimerrhythm 作曲:飛内将大
夜の国が見せてくれた遠き日の思い出。
その追憶の日々はいつも陽菜の声で飾られていました。
捨ててしまった交換日記。
それは陽菜とは友達やめようという気持ちの表れですが、ここにきて心境に変化があったようです。
あの日々はやはり自分にとって大切で、陽菜は掛けがえのない友達だと気付いたのでしょう。
だからこそ陽菜との日々を歌にしたいと思えるまでになったのです。
歌にしたいと思う時というのは例えば大切な人へ向けて気持ちを届けたい場合があるでしょう。
今まさに紬は再び陽菜をそうした対象と見なしたことがわかります。