胸の鐘の音を鳴らしてよ
切ないほどの抱擁とキスで
乾いた心を濡らしてよ
ただ二人でいられたらいい

出典: youthful days/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿

お互いの心を重ね合わせる描写です。

一瞬でも離れてしまうのを恐れているのでしょう。

植物には水が不可欠。意外なことにサボテンにも水やりが必要です。

しかも、土が乾いたらたっぷりと

お互いを植物に見立てるとするならば、彼は彼女に、彼女は彼に水やりをしなければいけません。

でも2人は意識して水やりをする必要はないのでしょうね。

一緒にいるだけで、2人は常にお互いを潤すことができます。

つまり、一緒にいるだけで愛を与え合う2人なのです。

若々しい日々を取り戻す

生臭くて柔らかい温もりを抱きしめる時
(I got back youthful days)
くすぐったい様な乱暴に君の本能が応じてる時
(I got back youthful days)

出典: youthful days/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿

サボテンはトゲがあるため「緑色のサボテンそのものに触ったことがない」という方がいるかもしれません。

健康なサボテンはしっかりとした固さがあります。

しかし根腐れを起こすと柔らかくなり、トゲが落ちてしまうこともあるのです。

根腐れの最大の原因は水のあげすぎ。つまり、愛情の与えすぎ!ということですね。

彼女が根腐れを起こしても、それは自分が愛しすぎたせいだと分かれば嬉しいはずです。

まだこんなにも愛せるのだと感じ、若々しい日々を取り戻します。

愛しているのに、ちょっとしたいたずら心でそっぽを向けば、彼女は愛を求めるでしょう。

まだこんなにも愛してくれているのだと思えるのです。

苦しさにも似た感情に もう名前なんてなくていいんだよ
(I got back youthful days)
日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる

出典: youthful days/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿

こんなにも別れを恐れてしまうなら、いっそ愛さなければ楽だったかもしれない。

そんなふうに愛ゆえの苦しみを味わっている彼は、これが「愛」なのか分からなくなる瞬間があるのでしょう。

しかし、それが「愛」だろうが「苦行」だろうが、関係ないのです。

彼女が愛おしくて誰にも渡したくない、離れたくないという感情を表に出すのは、男性にとっては情けないことかもしれません。

できれば男らしくいたかったのに、本心は勝手に外へ出ようとしています。

最も不安定な『youthful days』

繋いだ手を放さないでよ
腐敗のムードを かわして明日を奪うんだ

出典: youthful days/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿

「若々しい日々」に立ち返り、前に進み始める2人。

愛おしく思うがあまり、彼女に依存しそうになることもあります。

しかしそれでは根腐れを起こしてしまうかもしれません。

ここで彼は彼女に「手を放すな」と言いました。

彼が「離れないで」と彼女の手を握りしめていればいいはずですが、これでは根腐れ一直線。

だから彼は手を重ねるだけ。「放すな」と言うだけ。

彼の手を握ったままでいるか、放すかの判断は彼女に任せています。

愛しすぎて根腐れさせないように。愛さなすぎてトゲで刺されないように。

子ども時代や青春時代と「若々しい日々」の違いは、ここにあるのでしょう。

ただ「好き」という感情だけで突っ走っていくことはできません。

2人の時間を長く続けるために、沢山のことを考えながら手を繋いで歩いていくのです。

「奪う」という強い言葉に込められた真意

この歌詞で気になるのが「奪う」という言葉です。

明日を待つわけでも、明日に向かって進むわけでもなく明日を「奪う」。

明日という時間は自分が望んでも望まなくてもやってきます。

やって来るというより「明日に向かって〜」という言葉があるように、私たちは常に新しい日に向けて歩みを進めています。

一方この歌詞を見ると、まるでアドベンチャーゲームの様相を呈しています。

向こうから歩いてくるキノコを踏み潰したり、亀の甲羅を避けたり。

そうして進んだ先にあるフラッグを掴み取るわけです。

そんなことをしなくても誰にでも平等に明日は来るのに、と思ってしまうとこの曲の真意にたどり着けません。

例えば「明日」には限定数なんてありません。

それなのに「奪う」ということは、自分が希望する明日を選ぶという意味に置き換えられるのではないでしょうか。

明日が来るなら何でもいい、ということではないのです。望む明日を選んで引き寄せる。

できれば誰よりも良い明日、幸せな明日を我れ先につかみ取りたいのです。

何だか独りよがりな人だ、という印象を受けますがそうではありません。

例えば彼が右手で明日を掴むなら、左手には何があるでしょうか。それは彼女の手です。

つまり彼女が自分の手を握っていさえすれば2人が一緒に幸せになるための明日をゲットしてくるから、ということなのでしょう。

これを一行にまとめると以下のようになります。

彼女と一緒に幸せになりたい」

しかし、どこか当たり前過ぎる落とし所です。なぜこれがyouthful daysなのでしょうか。

『youthful days』には何があったのか

幸せになりたい、という気持ちは多かれ少なかれ誰もが持っています。

大人になるに連れ「誰かと」幸せになりたいという考えに変わります。

そして「誰かを」幸せにしたいという形に変化するのです。

家族を持っていれば、精神的幸福と金銭的幸福を両立させなければなりません。

この曲ではまだここまで進んでいないのでしょうか。あるいは進んだけれど戻っただけなのか。

若かりし頃は「誰かと幸せになりたい」という思いが様々な行動の原動力になります。

それがいつしか「誰かを幸せにしたい」に変わり、家族が生まれるのです。

もちろんどちらだって幸せなことには違いありません。

ですが家族を持つと、幸せにすることが義務のように感じ始める人もいます。

しかもこの幸せはできるだけ長く継続する必要があるのです。

なぜなら生活が立ち行かなくなるからですね。

「2人だけの幸せ」を追求できる時間はそう長くはありません。

青春を終え、家族を持つまでの期間限定です。それはすなわち若かりし頃、youthful daysなのでしょう。

前出の歌詞に英語詞がありました。こちらは過去形で記載されています。

つまり彼は、2人だけの幸せを追い求めることに必死になっていた時代に立ち返ったということなのでしょう。

この曲が世に出たのが2001年。すでに桜井和寿は家庭をもっていました。

「幸せ」に対する自身のスタンスが変化していたことに気付いたのかもしれません。

誰かを幸せにするためは毎日闇雲に駆け回る必要があるでしょう。

幸せにしたいという一心から余裕をなくし、幸せになってほしい家族に目が向かなくなることだってあります。

自分が幸せにならなければ、誰かを幸せにすることはできません。

だからこそ一旦原点に、つまり「youthful days」に立ち返り、幸せの形を再確認するこの曲を作ったのではないでしょうか。

人のために尽くすことが「美徳」とされがちな世の中にあって、この曲は自身の幸せを追い求めています。

それも独りよがりではなく、誰かを幸せにするために自分が幸せを掴むという強い意志を感じます。

与えて与えられる関係性こそが愛を育んでいくのかもしれませんね。

恋愛はバランス感覚が大切!

youthful days【Mr.Children】歌詞解説!サボテンや赤い花が表しているものは何?の画像

Mr.Children楽曲の歌詞には少しアダルトな意味が込められている、というのは有名な話です。

しかし、そうではない別の側面からも解釈できるのが彼らの楽曲の魅力ではないでしょうか。

『youthful days』も同様です。

大人になると失われてしまう恋愛の温度を何度だって取り戻す。

身勝手にならず、いつだってお互いのことを考え、バランスを取りながら歩いていく。

そんな純粋な恋愛ソングとして読み解きました。