恋に対して他人を責めないという覚悟が現れています。
ひとつここで気になるのは、本楽曲のテーマが不倫ではないかということです。
「みんなが心配する」から「誰にも言わない」と歌っています。
たとえそうであっても誰のことも責めないという覚悟です。
しかしながら必ずしも不倫だとは限らないという印象を受けます。
不倫ではない普通の恋であれ、女性には少なからず覚悟が必要です。
恋する相手に尽くそうとする女性らしい心理が逆に搾取されるかもしれない。
身体的にも精神的にも搾取される恐れがあるのです。
したがって本来なら女性は恋に対して慎重にならないといけません。
だからこそ、恋に踏み込むときには誰も責めないという覚悟が必要だというのです。
2番の歌詞を紐解いてみましょう
完璧なフリをやめる理由は
完璧なフリは腕時計と一緒に外して
ベッドの横に置いて
出典: 誰にも言わない/作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada
このフレーズから、女性はこの恋に踏み込むにあたり、身体的な関係になったことがわかります。
ところで「完璧なフリ」とはどういうことでしょうか?
この女性は自分が完璧ではないと自分では思っているということでしょう。
完璧な女性は愛されにくいといわれます。
男性が物怖じしてしまうからです。
男性とは身勝手なもので、自慢できるけれど完璧でない女性を望みます。
優越感を感じたいからです。
特に大人の女性はそういうことをわかって男性と接しています。
この楽曲の女性は、「素」を出すつもりで男性と向き合っていないのでは?
男性の性質をわかった上で、完璧ではない姿を見せようというのかもしれません。
いわば完璧でない女性を演じようとしているのではないかという気にさせます。
恋で罪を感じるという女性特有の感覚
一人で生きるより
永久(とわ)に傷つきたい
そう思うのはただのワガママ
罪を覚えるより
君に教わりたい
今夜のことは誰にも言わない
出典: 誰にも言わない/作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada
確かに女性にとって1人で生きる方が楽だといえます。
1人の方が辛いのは、現代の日本社会において女性が経済的に弱い側面があるからです。
恋に踏み込むとは、女性にとって永久(とわ)に傷つくことを意味します。
なぜそれがワガママなのでしょうか。
「罪を覚える」とあります。
やはりこの恋は不倫なのでしょうか?
そうではないとしたらこのように考えることができます。
女性は恋愛を何かキレイなものとして夢見ているものです。
それが身体的な関係になるとすると、何か汚れ(けがれ)のようなものを感じることがあります。
少女時代から男性に性的な視線を向けられ、自分が汚い存在であるかのように感じる場合もあるものです。
「罪悪感」というのでしょうか。
したがって、女性が恋に踏み込むときはその罪悪感を受け入れる必要があります。
罪悪感と恋する喜びの間を揺れ動くことになるのです。
そのことをいっているのではないでしょうか。
そしてその揺れ動く気持ちを君に教わりたいと歌っているのでしょう。
今ここで生きるという感覚
明日から逃げるより
今に囚われたい
まわり道には色気がないじゃん
出典: 誰にも言わない/作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada
「明日」と「今」という相反する言葉が出てきます。
明日から逃げるとは、この恋の結末として何か不穏なものを予感してそれを避けるということです。
しかしそれから逃げずに今に囚われたいと歌います。
「囚われる」という言葉は心憎いです。
恋愛すれば、それで心がいっぱいになってしまう場合があります。
そんな感情に流されて囚われたいということでしょう。
そういった面倒なことを避けて回り道をするよりも、今の喜びに飛びつきたいのです。
そのほうが色気があると宇多田ヒカルは思っています。
女性が欲望に正直になる裏の感情とは
赤裸々な欲望の裏にある女性特有の深遠さ
Can you satisfy me
Boy you know what I need
I just want your body
I just want your body
出典: 誰にも言わない/作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada
こちらも英語詞なので日本語訳を掲げます。
私を満足させてくれる?
私に必要なものが何かわかっているでしょう?
あなたの体が欲しいの
出典: 誰にも言わない/作詞:Hikaru Utada 作曲:Hikaru Utada
こちらも身体的な関係を連想させるフレーズです。
一見肉食女性なのかな?と思わせるかもしれません。
男性が同じセリフを言えばそうなるでしょう。
実際にこのように思っている男性は多いという印象です。
しかし女性がこのようにいう場合、その本音は異なります。
女性が「体が欲しい」という場合は、精神的に満たされている場合に限ります。
あるいは、本当にそれだけを思っているわけではありません。
さらに精神的に満たされたいための何かを象徴する欲望です。
本当に欲しいものは何かどこかもっと深いところにあります。